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【熊本地震後のペンションダイアリーの近況報告】

6ページ目です。

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4ページ目は「こちら
5ページ目は「こちら
10月2日からは「熊本地震被災からの全録・あの日がなければ



目次

更新。各日付の箇所へ移動します。

9月1日
9月2日
9月3日
9月4日
9月5日
9月6日
9月7日
9月8日
9月9日
9月10日
9月11日
9月12日
9月13日
9月14日
9月15日
9月16日
9月17日
9月18日
9月19日
9月20日
9月21日
9月22日
9月23日
9月24日
9月25日
9月26日
9月27日
10月1日


更新 平成28年9月1日7時


★復旧した県道149号線


今までは阿蘇市と南阿蘇のアクセスは、
国道265号線の、高森から箱石峠を越えて、阿蘇市へのルートと、
メルヘン村の下を通って、ファームランドへの道しかなかった。

しかし8月31日より、県道149号線が通行可能になりました。
詳しくは上の地図をご覧ください。

いちいちくまもと阿蘇カントリーのゴルフ場まで、
登らずに通過できるので、このルートは大変便利です。
メルヘン村の下の道を通過する車は、少なくなるでしょう。
これでまた一つ、復興へ動き出した。

尚、4t車以上は通行できません。


実は開通の前日の夕方、シュウの散歩で、途中まで歩いて行ってみたが、
その時の後ろ姿が、開通当日の朝のNHKのニュースで映っていた。
そういえば一組のテレビクルーがいたが、NHKだったのか。

写真はまだ開通前で、走る車もなく静かだった。


★久しぶりの余震

昨夜TVで岩手・北海道の台風による被害報道を見ていた。
台風は事前に進路や、やって来る日にちがわかるから、対策を立てていれば、
被害を最小限に留められるのになぁ。

と話していたら、
突然グラグラと揺れだした!
思わず「ウワァ〜」「オーオー」「揺れてる揺れてる」と叫んだ。
物は落ちなかったが、結構長い時間、揺れ続けた。

TVも熊本で地震発生を告げだした。
震源地は熊本地方で「震度5弱」
地震には慣れてはいたが、久しぶりに大きな余震でビビった。

とこのブログを書いていたら、
突然また揺れが始まった!
時間は朝の6時33分。
まだ寝ていた子供たちも飛び起きてきた。
熊本地方で「震度4」、震源地は昨夜と同じ場所だ。

ヤレヤレ、一体いつまで続くのか。
今日もダイアリーに戻って片付けをする予定で、
今日は屋根裏部屋を片付けようと思っているが。
余震がこんなに続くと・・・。


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更新 平成28年9月2日7時


★無い!西南の役公園が無い

昨日の県道149号線開通で気づいた。
途中にあった「西南の役公園」が見当たらないのだ。


近くにいた作業員に聞いたら、「ここにあった」と足元を指差した。

聞くところによると、
京大火山研究所の丘から流れ下った土砂が、
公園を埋め尽くし小山のようになっていて、
その土砂を撤去することなく、その上に新しく県道を作ったのだ。

土砂を撤去して道路を整備するより、そのほうが早く復旧出来たらしい。

写真の左の一本のヒマラヤ杉が、かつてここに公園があった貴重な目印となった。
地震前は二本あったが、悲しいかな一本だけ残った。
でも一本だけでも残って、良かったとも思える。

しかし石碑が数多くあったが、何処へ行った?
みんな埋もれてしまったのか。

西南の役公園の詳しいことは「こちら


ここからは火山研究所から崩落した土砂が、流れ下った跡がよくわかる。
ここも以前は何度も散歩に行った所で、今は研究所へ向かう道も無くなっていた。
「あの日がなかったらなぁ」と、一人ため息をつく。


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更新 平成28年9月3日7時


★台風接近の朝


空一面を覆い赤く染まった雲が、すごいスピードで流されていた。
台風12号が九州を狙っている。
台風10号で岩手・北海道で甚大な被害が発生したばかりなのに、
もう次の台風がやって来た。

特に熊本は地震で倒壊したままの家屋が、数多く残っている。
ダイアリーも同じ状態だが、瓦礫が台風の強風で、飛散しないか心配だ。
といっても台風の風は半端無く強いので、対策の施しようがない。
何事も無く去ってくれるように、祈るしかない。


★運び出しも終盤へ

必要な物の運び出しも、いよいよ佳境に入りました。
昨日は屋根裏部屋からの運び出し。
最近余震が頻繁に起きているので、なるべく素早く行動しました。


写真はおひな様のセットを降ろしているところで、
このおひな様はダイアリーママの実家から頂いたものです。
しかし阿蘇に来て一二回しか並べていなかったので、状態が心配だった。
降ろして古い箱を開けてみたら、
人形のお顔に少しシミが出ていたが、着物などは綺麗だった。
このおひな様は廃棄することなく、保管しておこう。


★手作り木馬

片付けていると、昔懐かしい品物が、次から次へと出てくる。


この木馬は長女が誕生した時、作りました。
今から38年前の制作。
当時はカーブを切るジグソーなどなかったので、細いノコギリを使って切ったのを覚えている。
今でもしっかりしていて、大人でも乗って遊べる。

もともとこういった工作も好きだったのですね。

こんなことを思いながら作業をしているので、なかなか先に進まない。
ボランティアに頼んだらと話があるが、取捨選択に時間がかかって、
迷惑をかけるので頼めない。
でも急がないと。


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更新 平成28年9月4日8時


★台風が近づいている


台風12号が九州に近づいている。
しかし速度が遅く、影響が長引きそうだ。
トットと行ってくれ。


★運転にはご注意!


各所で解体が始まったが、
解体ゴミを運搬するトラックから、落下した瓦礫をよく見かけます。

見かけたら道路脇へ移動させるのですが、結構な数落ちています。


その中で一番厄介なのは、木片です。
この木片には必ずと言っていいほど、「釘」が刺さったままになっています。

この上を車で通過したら・・・
想像つきますね。

だから被災地に入ったら、あまりスピードを出さずに、安全運転を心がけてくださいね。


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更新 平成28年9月5日7時


★台風が去っていく

台風12号は、雨風とも影響なく通り過ぎていった。
一時は「避難指示」や「避難勧告」が発令されたが、大事に至らなくてよかった。
今朝は風もなく、外はシーンと静まり返っている。
でも早くも次の台風が発生しそうだ。
やれやれ。


★奇跡の石橋くぐり?


写真の川は、このブログにも時々登場する「濁川」
奥に見える石橋は古い道にあって、以前はここを車が通っていました。
子供たちもこの橋を渡って、小学校へ通っていた。

今は新しい道が出来て通ることはなくなったが、
今回の地震で、橋の周りも崩れていた。

で、よく見ると、川の中に巨大な岩が流されているではないか。
多分地震後の大雨で、土石流が発生して、ここまで下ってきたのでは。


しかし石橋のアーチの大きさと、流れて来た巨大な岩の大きさを見て驚いた。
ほとんど同じ大きさではない!
よく石橋に当たらず、くぐり抜けて来たものだ。
これこそ奇跡では?

橋の手前の左側の法面も崩落しているが、規模は少しだったので、
やっぱりこの岩は、石橋の上流側からくぐり抜けたのでは。

しかもほかの岩も結構な大きさをしているが、
これらの岩も石橋にあたっていない。
なんともスゴイことが起きていた。


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更新 平成28年9月6日8時


★懐かしい品が次から次へ

今、解体に向かって必要な物を運び出していますが、
「懐かしい」「これがこんな所にあった」「これなんだっけ」と、
気になるものが次から次へと出てきます。
今回の地震がなかったら、目にすることがなかった物もあり、なかなか複雑な思いです。


上の写真は、どうも観光イベントで配布があった様な・・・。
山頭火の詩が入っていて、このまま現在でも使えるのではないかな。

そして極め付きは、
 ↓
 ↓
 ↓
 ↓
 ↓
 ↓
 ↓
 ↓
 ↓
 ↓
 ↓
 ↓
 ↓
 ↓
 ↓
 ↓
 ↓
この写真だ!


写真の女性は「ダイアリーママ」です。
今から50年前の見合い写真で、しかも二枚もあった。
私達の結婚写真とともに、屋根裏部屋で見つかりました。

尚、この写真は不許可で掲載しているので、削除される可能性が大いにあります。


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更新 平成28年9月7日7時


★家路


撮影場所は「観音桜公園」。
遠く中岳の立ち昇る噴煙も見えた。

久しぶりの雲海の朝に、全身で感動を得た。
やっぱり阿蘇はいいなぁ。

拡大写真は「こちら


乳白色のミルクの海に浮かび上がる家や木々は、まるでファンタジーの世界だ。


丘には初秋の花マツムシソウも咲いていた。

撮影が終わって充実感いっぱいで家路についたが、
帰る場所は「ダイアリー」ではない。
いつものあの「ダイアリー」ではない。

撮影に夢中になっていると、被災の事を忘れられるが、
現実はなかなか・・・。


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更新 平成28年9月8日7時


★これも地震の影響か


南阿蘇村吉岡地区に、2006年10月に新たな噴気孔が出現しました。
「吉岡噴気」通称「泥火山」と言っています。

最初一箇所だったが、その後もう一箇所噴気を上げだし、二箇所になりました。
立ち昇っているのは、、水蒸気で火山灰ではありません。

直ぐ側には別荘が立ち並んでいます。


その噴気の吹き上げが、地震後少なくなりました。
これもやっぱり地震の影響でしょうね。

今は車は通行禁止になっているので、様子を見に行くことは出来ない。
徒歩で行ってみてもいいが、暑いのでもっと涼しくなったら行ってみようと思っている。

右の山は「烏帽子岳」
茶色の山肌は、今回の地震とその後の大雨で崩落した跡。


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更新 平成28年9月9日7時


★ったくもう。公費解体が面倒くさいことに。

昨日、解体業者が決まったので、現地で打ち合わせをした。

最後に業者がこう言った。
    「まだ持ち出しに時間がかかるようですね。全て終わってから解体します」
私   「????????????????」
業者 「家の中を空っぽにしなければ、作業に掛かれません」
私   「????????????????」
業者 「家具などには触れないので」
私   「????????????????」

私   「いやいやいやいや、役場に申し込みに行った時、職員は散乱したものは手を付けず、そのままにして置いていいですと、言われたけど?」
業者  「業者を集めた説明会で、指導がありました」

場所は村役場にて。
職員 「実は野木(私の名前)さんが申し込みされた後に、このように方針変更になりました。」
と一枚の紙を渡された。
赤枠はこちらで追加。


どうも解体の申し込みが多くて作業が大幅に遅れているので、
事前に家屋内は依頼者が片付けておけ、と言うことらしい。

え〜なんでやねん!

ったくもう。
今更そんなことを言われても。

変わったら変わったと、ナゼすぐに連絡をくれない \(*`∧´)/
変わった日より前に申請した人達全てに、連絡すべきだろうが。
こちらが役場へ出向いて行って、やっと分かったのだから。
その時(解体時)になって困るのは、我々被災者だから。

しかもこの資料、作成した日付の記載がない。
一体いつ変わったのか?
ったくもう。
役所仕事ってやつは。

しかし今更言われても、公的なボランティアは、赤紙の家屋には入れないし、
NPOのボランティアは人数が減っていて、やり繰りが大変みたいだし。

また離れは大きく傾いて倒れかけているのに、
あの中からどうやって家具を運び出せというのか。
厨房内は、冷蔵庫やプロ用のガス台・ステンの食器庫などが転倒していて、
あの重い物をどうやって運び出せというのか。

しかも担当の業者は、建設業者で解体のプロではないし、
家具には一切手を触れないようだ。

役場は、道路に面しているメルヘン村の家屋の解体を、急いでいるようだが、
そもそも申し込みに行った時、一二年かかると言われたので、その腹づもりでいた。
だから今回の件で遅くなっても、こちらとしてはノープロブレムなのだが。
担当業者も遅くなったほうがいいらしい。

しかし片付けはどうすればいいのか・・・。
ったくもう。

久しぶりに血圧が上がったような。


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更新 平成28年9月10日7時


★浄化槽の汚泥抜き


ダイアリー解体に向けて、浄化槽の汚物抜き取りと消毒がありました。
メルヘン村は水が出ないので、水を積んだ軽トラも一緒に来ました。

浄化槽も一緒に解体されるが、事前に中身を抜いて、綺麗にしておく必要があるのですね。

噂では、この作業料は足元を見られて、ボッタクられるらしい。
しかしいつもの清掃業者に依頼したので、いつもと同じ料金だったのでホッとした。

ところで片付けですが、
NPOのボランティアにお願いすることにしました。
こちらの組織は、地震直後からメルヘン村に出入りしていたので、よく知っている。
しかしボランティアが少なくなったのに、逆に作業が増えて、なかなか大変そうで、
いつ作業に入れるか未定です。

役場は解体を急ぐみたいだが、役場があんな状態だから、
逆に開き直って、こちらのペースでことを進めてしまおう。

まあこちらとしても別に急がないし、
無理をして怪我や体調不良になっては、元も子もないので、気長に事を進めよう。

ったくもう。(まだ怒りが収まらない)


★戻って来た標柱


8月2日の記事内の「床瀬川」の標柱が、荒尾から南阿蘇村へ返還されました。
現地はまだ立入禁止になっているので、落ち着いたら元にあった場所に設置される。
また今回の物語を綴った看板も、設置されるらしい。

しかし思えば思うほどに、感動的な出来事だった。


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更新 平成28年9月11日7時


★ダイアリーの「ウリ」が今となっては重荷に。

家屋解体までの片付けに関して、色々分かってきた。

震災前、通常の行政によるゴミの収集があったが、
その収集出来るゴミは、災害ゴミ集積場では引き取ってくれない。
例えば、ペットボトルとか、本とか、燃えるゴミなど。

だからゴミを仕分けしている業者も、行政によるゴミの収集日程に従って、
地区のゴミ集積場へ運んでいる。
メルヘン村は、7月12日の記事参照。

災害ゴミ集積場は、上記で収集できない物だけ受け取ってくれる。
例えば、基礎に使っていたコンクリートの塊とか、木の柱とか。

と言うことを、近くで解体作業をしている業者に聞いたので間違いない。
業者は業者で苦労している様子だ。

そう言えば地震直後は、災害ゴミ集積場には、
畳やベッドや小型家電など、ゴチャゴチャに山積みされていた。
この時はあまり細かなことは言わなかったようだ。
その時捨てれば簡単だったが、当時はまだ体育館で避難生活。
そんな事を考える余裕なんてなかった。

今度被災したら、ゴミは早く捨てよう。

なるほどそういうことか。
そういうルールなら仕方ないが、変更になった時点で早く知りたかった。
連絡をくれない役場の怠慢では。
知らない住民も多いと思う。
ったくもう。

しかしいつまでもグチグチ言っても前に進まないので、
自分たちで出来ることは、自分たちでやろうと決心した。 ← 偉い!
ただし慌てずマイペースで、ボチボチとだ。

そこでまず始めたのは、散乱している本の片付け。

ダイアリーの「ウリ」の一つに1600冊の蔵書がありました。
ちなみに蔵書は地震前には、このような状態でした。
これも一部です。

当然すべての本は、地震で散乱した。


本の回収は、今月は14日水曜日だけだから、
こいつは水曜日まで間に合わせなくては。
全部は出来なかったので、今日も引き続き作業をしよう。

しかしすべての作業が終わって解体が始まるのは、一体いつになるのか、
いつまで体力・気力・忍耐が続くだろうか。
多分、忍耐がないから、気力もなくなるのだろう。
間違いない。
やれやれ。


★今年も千葉の梨が届いた。

今年も千葉の甥っ子から「まつどの梨」が届いた。
梨が大好きなので、毎年届くのを首を長くして待っている。


熊本にも「荒尾のジャンボ梨」なるものがあるが、
毎年「まつどの梨」が送られてくるので、あまり食べたことがない。

冷たく冷やした「まつどの梨」は果肉はシャキシャキで、ジューシーな汁が口いっぱいに溢れ、
思わず「ウマイ!」と言ってしまう。

これを食べるとほかの梨は・・・。


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更新 平成28年9月12日7時


★この静けさは。


今は毎日ダイアリーへ戻って、片付けをしているが、
最近はメンバーの人達ともあまり合わなくなった。
皆んな色々忙しいのだろう。

日曜日の昨日は、近くの解体業者も休みで、重機の音もせず、メルヘン村は静まり返っていた。
野鳥のさえずりも、風の音もしない日だった。
この静けさが寂しさを誘う。


庭に一輪の彼岸花が咲いていた。
庭は今は荒れ放題だ。
またここに花を植えることが出来るのだろうか。


★今更ながら


片付けをしていたら、村の「防災マップ」と「水防ハザードマップ」が出てきた。
以前配布があったのは気付いていたが、行方不明だった。
今更ながら感があったが、仮設に戻りじっくり眺めた。


この防災マップは、平成17年の作成で、
・土石流危険渓流
・土石流災害危険区域
・急傾斜地崩壊危険区域
・山腹崩壊危険地区
・火山噴火災害危険区域
などが書き込んである。


阿蘇大橋の崩落した山は、崩落危険箇所には指定されていない。
地震は対象外だったのか。
しかし活断層は書き込まれているが。
結局自然災害は、人知を超える災害が起きるということかな。


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更新 平成28年9月13日7時


★冬の積雪・凍結が怖いミルクロード

今熊本市内へ行くには、ミルクロードルートとグリーンロードルートの2ルートしかない。

ここからだとグリーンロードは結構遠回りになるので、ミルクロードを利用している。

しかしミルクロードは峠超えだから、冬期の走行が気になる。
ちなみにグリーンロードは、以前から冬期は通行止めとなる。


新聞によると、この冬からはミルクロードは、
除雪や解氷の凍結防止剤の、散布の回数を増やすそうだ。

我が家は今回車を買え替えた時、四駆が一番の条件だった。
今までは四駆が必要なケースはあまりなかったが、
新阿蘇大橋が完成するまで、必要と判断した。
もうじきスタッドレスタイヤも履かせる予定だ。

ただこちらがいくら対策をしていても、
雪道対策をしていない車や、雪道走行に不慣れな車が、
こちらに向かって突進してくる恐れがあるので、心配だ。
過去に何度かあった。

あと俵山トンネルルートが、年内にも仮復旧しそうだ。
現在24時間の突貫工事をしている。
こちらは峠越えはないが、遠回りになるので、やっぱりミルクロードになるのかな。

あと1つ。
長陽大橋の復旧だ。
この橋は阿蘇大橋より下流の、白川と黒川が合流する地点に架かっている橋で、
立野ダム建設に関連して架けられた、比較的新しい橋です。
この橋本体は、地震の影響は無かった。
このルートが復旧したら、超・超便利になる。

しかしこの橋へ至るまでの道路が大規模崩落しているので、いつの事になるのやら。


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更新 平成28年9月14日6時


★ボランティアさんから元気を頂いた一日

昨日解体に向けての家財などの運び出しに、ボランティアの皆さんが駆けつけてくれました。
「ロハス南阿蘇たすけあい」というNOPに依頼して、
2つのグループの方が参加してくれました。

が総数なんと約40名!


神奈川県の床屋さんのグループ。


長野県松本のお坊さんのグループ。

そしてロハス南阿蘇たすけあいのスタッフの方々でした。

尚、当日はダイアリーだけではなく、近くの2軒のペンションにも入られました。
だからその日は、いつもとは打って変わって、
大変賑やかで、元気な声がメルヘン村に響き渡りました。


そして作業が始まりました。

しかしスゴイです!
人数が多い上に、皆さん今までボランティア経験があって、
まず何をどうすればいいのか、次は何をすればいいのか心得ていて、
次から次へとどんどん作業が進んでいきます。

あまりの速さで片付いていくので、次はどこをお願いしようかと、
私達二人はアタフタとするばかりでした。


駐車場はみるみるうちに、運びだした廃材の山になった。


運びだした物を仕分けする作業や搬出も、テキパキと見事でした。

いやはや感激の一日でした。
北部九州豪雨災害の時は、ボランティアに参加したが、
今度は逆にお願いする立場になって、どうなることかと不安だった。

でも皆さんを見ていると、それは「杞憂」だった。
皆さ〜ん!本当に有難うございました。
大変嬉しかったです。

解体業者から屋内を空っぽにしなければ、解体に入れない。
と言われた時からずーっと
「空っぽにしろって言われてもどうすっとや」
「どうやって運び出すっとや」
「運びだしてどうすっとや」
と憂鬱な気分になっていた。
でも昨日はそんな気分がふっ飛んだ、爽快な一日だった。
元気を頂いた一日だった。

これも皆さんのおかげです。
本当にありがとうございました。
感謝の気持ちでいっぱいです。


屋内には、まだまだ運び出さなければいけない家財などがあります。
今度は週末に、多く方が参加されるそうで、
それまでお願いするところにある必要な物を、急いで片付けなければ。

前期高齢者の私達にとっては、身体のアチコチがギシギシ言っているが、
ここは踏ん張りどころ。
全国から駆け付けて頂いているから、こちらも頑張らなくては。


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更新 平成28年9月15日6時


★昨日のボランティアさん


昨日は朝から雨模様で、ボランティアさんは休みでした。
しかし私たちは週末の運び出しに向けて、家財の選別に忙しかった。

ただ週末の台風16号の動きが心配だ。

写真は雨に濡れる萩の花。


★いよいよ阿蘇登山道路が開通へ


地震発生以来、全ての登山道路が不通になっていたが、
16日から「東登山道路」だけ開通します。

場所的には、「JR阿蘇駅」から「草千里」→「山上広場」までで、
それ以外の「ファームランド」付近からと、
「白水瑠璃温泉」付近からのルートは、まだ不通です。
このルートは復旧の見通しは立っていない。

まだ一本しかルートは復旧していないが、
少しづつではあるが、阿蘇の観光は復旧に向かっている。
嬉しいことです。


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更新 平成28年9月16日7時


★ささやかな幸せ


昨日は女性三名の方が、応援に駆けつけて下さいました。
一番右側の女性は三度目です。

いつも二人で片付けをやっているが、なかなか進まない。
しかし少しでも人数が多いとどんどん片付けが進んで、
見る見る間に部屋はスッキリしてくる。

皆さん本当に有り難うございます。


作業を進めていると、突然ダイアリーママが叫んだ!
「キャー!」
蛇が出たのか!


「あったー!」
なんと廃棄するはずの封筒から、現金21000円が出てきた!

いやいやなんと幸運な。
今まで小銭は出てきたが、万札が出てくるとは。

しかもこの封筒の束は、今まで何度も確認したとか。
いやー危なかった。
いやーラッキー。

私が「そう言えば自分に記憶がある」と言っても、
ダイアリーママは自分が見つけたから自分のだと、固く握って離さなかった。

でもその後、ダイアリーママがそっと一枚手渡してくれた。
やっぱり優しいんですね。

そのお金でボランティアさんと皆んなで、コンビニの豪華ランチ?を頂きました。
良かった良かった。

雨も上がった被災地での、ささやかな幸せな出来事でした。


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更新 平成28年9月17日6時


★来生は放浪の画家

昨日はダイアリーママと二人だけでの片付けだった。


私は外の倉庫の片付けをした。
実はこのなかに欲しい物があったような気がしたので、
ボランティアさんが入る前に自分で見つけておこうと思った。

結局見つからなくて、作業も途中で力尽きた。


しかし倉庫の中から、大量の絵が出てきた。
そう言えば阿蘇に移住する前のサラリーマン時代、よく絵を書いていたが、
その時書き溜めていたものだった。


油絵ではなくイラスト風の水彩画で、
実際にスケッチしたものではなく、当時の写真集などを見て書いたものだった。


写真撮影も好きだが、実は絵も好きなのですね。

来生は「放浪の画家」になるのが夢で、
ダイアリーママは、旅先の私に送金する役目を約束しました。
何か問題でも。


★さて本日から2日に渡って大人数のボランティアの皆さんが、
運び出し・片付けに駆け付けてくれます。

これで片付けも一気に進むと思います。

大変だけど、あと一息だから頑張らなくては。


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更新 平成28年9月18日6時


★再びボランティアさんたちの応援


昨日、福岡ライオンズクラブの皆さんが、応援に駆けつけて下さいました。
写真には、ロハス南阿蘇たすけあいのスタッフの方も、写っています。
バスが渋滞にあって、昼からの作業になりました。


今回はちびっ子も参加です。
大人に混じって、重い荷物も運んでいました。


やはり大人数ですると早いです。
駐車場は見る見る間に、運び出した災害ゴミで一杯になった。

でもここからゴミの選別が大変。
皆んな総出で行ったが、もう少し残った。


夕方には運び出しも終わって、ペンション内は何もなくなりガラ〜ンとしていた。


屋根裏部屋も、こんな状態になった。
後は私達が細かな箇所を片付ければ、いよいよ解体に向かいます。

神奈川県の床屋さんの皆さん、
長野県松本のお坊さんの皆さん、
そして今回の福岡ライオンズクラブの皆さん、
本当にありがとうございました。
皆さんのご協力があったからこそ、片付けがスムーズにいき、大変感謝致します。

皆さんのご厚意が身にしみてこれからも頑張っていこうと、決意を新たにするところです。


★夏が忘れられないカブトムシ


ボランティアさんの到着を待っている時、
地震で崩れている道路にカブトムシを見た。

身体は昨夜の雨で濡れていたが、カブトムシは死んでいた。

夏と勘違いして土の中から出てきたが、秋雨に濡れながら何を思ったのだろう。

「秋雨を夏と間違うカブトかな」

そう言えば、
あの日からもう早くも五ヶ月が経ったのですね。
この間いろんな事が起きて、あっという間の五ヶ月だった。


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更新 平成28年9月19日7時


★ボランティアを受け入れる側になって

昨日も引き続き、福岡ライオンズクラブの皆さんが来られました。
しかし開始30分後には、雨が降りだした。
雨は本降りで作業は小休止。
皆さんは雨宿りしながら、雑談や喫煙で過ごされていました。

でも私達ダイアリー一家は、屋内で片付けを続けました。

そんな中、写真のご家族は「手伝いましょうか」と声を掛けられました。
いやー嬉しかったですよ。

作業は、食堂で溜まった災害ゴミを、
座り込んでガラスや陶器などに分ける簡単なものですが、
皆さんと一緒にすると、見る見る間にゴミもなくなり、終了しました。


以前にも書きましたが、
北部九州豪雨の時、ボランティアとして参加したが、
今回は逆にボランティアを受け入れる側になった。

そこで被災者になって初めて、
ボランティアを受け入れる被災者の気持ちがよく分かった。

だから写真のご家族から声を掛けられた時、大変嬉しかったのです。
本当に有難うございました。


その後雨は止みそうもなかったので、ボランティアさんは引き上げられました。

ボランティアの皆さんが帰られた後は、ダイアリー一家とロハスのスタッフの方たちと、
カッパを着ての作業となった。

でもここからまた大変だった。
災害ゴミ置き場へ行ったトラックが、そのまま戻ってきた。
捨ててはいけない物が混ざっていたと、受け入れを拒否された。

皆さんよくご存知と思いますが、ゴミ出しにはルールがありますね。
燃えるゴミ・燃えないゴミ・ビン・缶とかに分ける必要があります。
しかし人数が多いと、そのあたりの認識が薄い人もいます。
だからいくら注意を払って作業をしているが、どうしても混ざってしまう。

災害ゴミと言えどもチェックが厳しいのです。
災害という特別な出来事だから、少しぐらいは大目に見てもいいと思うけど、
そうはいかないのか。

結局駐車時場に広げて再選別をした。
雨の中のこの作業は、結構辛いものがあるが、やるしかない。


大規模な応援は今回で終了しました。
残ったゴミの処理は、ボチボチ進めようと思います。

もうこの作業は幾日続いたか。
前期高齢者の二人はクタクタです。

ダイアリーママは右手が上がらないと言って、シップをベタベタ貼っています。
私は滋養強壮の「マカ」を飲んで、辛うじて手足が動いています。

チョット休みたいのですが、
やっと先が見えてきたので、今日もダイアリーに戻って作業を続けます。
あともう少し。


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更新 平成28年9月20日6時


★最後まで守るぞ!

台風16号が近づいている。

昨日は駐車場のまだ片付けていないゴミが、
吹き飛ばされないよう、ブルーシートで覆ったり、
また強風が建屋内に吹き込まないように、窓を閉めて回った。


その時、屋根裏部屋の窓が、無くなっているのに気づいた。
ボランティアさんが家財の運び出しの時、外した窓も一緒に処分したらしい。
それは別に構わないのですが、
ここから強風が吹き込む恐れがある。


そこで廊下側の窓ガラスを外して、少しサイズが違うが、無理やり取り付けた。
これでモロに台風の風が、吹き込むことは無くなった。

どうせ解体する家だから、そこまでしなくてもいいんじぁ?と、
思われるかもしれないが、
家を守るのが、家主の大事な勤めではないかな。

この家ともあと少しの付き合いだから。
守りたくてももうすぐ無くなってしまうから。
30年間世話になった家だから、余計に守ってやりたい。
最後まで守ってやるぞ。
そんな思いをしながら作業をしていたら、目頭が熱くなった。


★最後のボランティアさん

写真の青年は、大阪からボランティアに参加している横田君です。


最初は友達に誘われて、南阿蘇村のボランティアに参加したが、
思うことがあって、そのまま「ロハス南阿蘇たすけあい」でボランティアを続けています。
時々は大阪に帰るらしいですが。

ボランティアは彼一人になったが、雨の中一人でもくもくと頑張ってくれていて、
有り難いことです。
彼のような青年がいる限り、元気と希望が出てきます。

現在は三人で作業をしているが、
もう目処が付いたので、ボランティアさんの手助けは、
明日で終わりになりそうです。


今日は台風接近で作業の方はお休みです。
本当に久しぶりの休みだが、私用で出かけなければいけない。
なかなかユックリ出来ないなあ。
しかもよりによって台風に日に。


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更新 平成28年9月21日6時


★台風一過

結局台風16号は、熊本には大きな被害もなく過ぎ去った。
朝、出掛けるときには、すでに雨も上がって風も収まっていた。
もう台風は来ないでくれ。


写真は夕方の散歩のとき、エノコログサが夕日に照らされて赤く輝いていた。


散歩道の側には、災害ゴミ廃棄場があるが、
いつもはシートに覆われて、中が見えないようになっている。
しかし台風対策で一時的に外されていた。


よく見ると、見たことがあるベッドのマットが、大量に野積みになっていた。
間違いなくダイアリーのベッドだった。
一般家庭で同じベッドがあれだけ多数あることはないので、間違いない。

一度廃棄してゴミとなったが、やっぱり愛着があるのですね。


★やっとホームページで告示が

9月9日に書きました、公費解体前の片付けのことが、
やっとホームページで告示がされました。

こちら

私と同じような苦情が寄せられたので、ホームページで告示したのか?
しかし更新日は9月15日。
それにしても遅いんじゃ。

しかもいくらホームページで告知しても、
被災した家には当然ネット環境もなく、
また仮設暮らしで、変更をまだ知らない人もいると思うが。
直接電話連絡するか、郵便で知らせるべきでは?

ったくもう。
・・・結構根に持つタイプなので。


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更新 平成28年9月22日6時


★ボランティアさんが終了しました

昨日はボランティアの横田くんと、
高森のクリーンセンターに書籍の廃棄に行って、
ペンション周りの片づけをして、午前中で作業は終了しました。

これでボランティアさんは全て終了しました。
長い間皆さん有難うございました。
本当に助かりました。
感謝申し上げます。


★ゼロの阿蘇

先日、片付けをしていたら、来客がありました。
南阿蘇村在住の写真家の長野良市さんです。

現在、南阿蘇に移住した写真家は数多くあれど、
長野さんは、南阿蘇生まれ南阿蘇育ちの生粋の南阿蘇人です。
30年前、私が移住したときには、すでに地元写真家として、活躍していました。

また熊本だけでなく、海外にも撮影活動をしていて、
熊本では超有名な写真家です。


そして今回の熊本地震発生直後から、
地元の被災現場を精力的に撮影活動をおこなって、
写真集「ゼロの阿蘇」を出版されました。

地元民が見た被災の貴重な写真が、多数掲載してあります。

売上500円のうち200円を、阿蘇で活動する個人や団体に、寄付になります。
皆さん是非ご購入を。


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更新 平成28年9月23日6時


★地区住民説明会

役場から地区住民説明会の案内が送られてきた。


ダイアリーのあるメルヘン村は、乙ヶ瀬地区になるので、10月7日だ。
もしかしたらこの日に、メルヘン村の復興内容が、発表されるかもしれない。
10月7日が待ち遠しい。


★すっかり片付いた


運び出した家財などが埋め尽くしていた駐車場は、
ボランティアの皆さんのお陰で、すっかり片付いて広々としています。

後は室内の細々とした片付けがありますが、
こちらはボチボチとする予定です。
二人共ちょっとバテ気味なので。


結局昨日も昼から雨になった。
本当に最近雨が多い。

しかしこの写真、よく見ると白い梁や窓が、微妙に歪んでいるのがよくわかりますね。
地震で歪んでしまったのですね。
残念ながら、やっぱりこの家は解体しかないか。


★感動を有り難う


転倒した門柱の後の窪地に、ヒイラギが芽を出していた。
地震の後に種が飛んできて、芽を出し、ここで大きくなったのだ。
これはまさしく「震災ヒイラギ」では。

ダイアリーママは鉢に植え替えて、仮設に持って行って大事に育てると言っています。

小さな命がくれた、大きな感動だ。


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更新 平成28年9月24日7時


★再会・草千里

昨日は久しぶりに天気が良かったので、
片付けは休んで、気分転換に草千里に行ってみた。

地震後は登山道路が亀裂や崩落で、長い間通行止めになっていた。
しかし9月16日から、東登山道から山上広場までは通行可能となった。

地震前はダイアリーから15分で行けたが、今は阿蘇駅まで行ってから、
登山道路を登って行かなければならず、大回りになった。


久しぶりの草千里。
ここから見る風景はいつもと変わりなかった。
緑色から少し茶色が混ざって、秋の訪れを感じさせた。

駐車場は車も少なく、ガラ〜ンとしていた。
駐車料は9月いっぱいは無料です。

向かいの山は「烏帽子岳」


その「烏帽子岳」を東に回ると、崩落が激しく、
山肌は鋭いノコギリの歯のようになっていた。

現在この山は、登山禁止になっている。


今回の地震で、登山道路の一番被害が大きかった「草千里展望台」付近。
片側通行になっていた。

遠くに阿蘇大橋の崩落現場や、ミルクロードが見えた。


そこから撮影した「米塚」
山の頂を囲むように、地震で亀裂が入っていた。
縦の亀裂は地震前からあった。


阿蘇の典型的な風景。
バックの煙は、中岳から上がる水蒸気で、火山灰ではない。


草原にはリンドウが咲いて、吹いてくる冷たい風が秋を思わせた。


登山道路の脇には、ススキの草原が広がっていた。


登山道路から阿蘇谷を撮影。
早いところではすでに稲刈りが行われていた。


今回開通したのは東登山道だけだが、全線開通すれば阿蘇観光も便利になり、
以前のように観光客で賑わうだろう。


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更新 平成28年9月25日6時


★本格的に動き出した


近くのペンションもボランティアの皆さんによる、家財の運び出しが始まった。
もう一軒も運び出しが始まって、いよいよ解体に向けて動き出した。


昨日も片付けに戻ったが、ちょっと疲れ気味。
ガラーンとした食堂で一休み。
でもあと二三日で片付けも終了しそうだ。


★これは何の印か?


ダイアリーの庭で、金属のピンが打ち込まれているのを見つけた。
このピンは、誰がいつ何のために、ここに打ち込んだのか?

そう言えば時々測量をしている人を見かけたが、
これは今後のメルヘン村の復興に関係しているのかな。


★現在のメルヘン村の周囲の道路状況


白い集合看板が、かつてここがメルヘン村の入り口だった事を語っている。
右の県道は、今は通行禁止となっている。


メルヘン村のアプローチは、そぼ降る雨がアスファルトを濡らしていた。

もう車は通ることはない。
人々も歩くことはない。
だってここから先は、道が崩落して無いのだから。


メルヘン村に入るには、今はこの裏道しかない。
もともとは私がシュウの散歩で毎日通っていた、細い坂道だった。
地震で進入路が無くなったので、急遽この道をボランティアの皆さんに広くしてもらった。

右のブタクサは、毎年秋になると花粉症の私を困らせていたが、
もうここを散歩で歩くことも無くなった。

地震後、メルヘン村も私達の生活も、全て変わってしまった。
一体これからどこへ行くのか?
何が待っているのか?
今は誰にもわからない。


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更新 平成28年9月26日7時


★最後の運び出し


昨日はボランティアさんに軽トラックを借りて、最後の運び出しをしました。

ダイアリーと仮設を二往復走ったが、久しぶりのマニュアル車。
最初は操作に戸惑ったが、やっと慣れた頃には、引越も終わった。


最後の便は、ダイアリーママの大事な花を積んで、これで運び出しも終わった。

借りた軽トラックの後アオリは、左のヒンジしか付いていなくて、結構ヒヤヒヤした。
写真の後アオリが傾いているのがよくわかる。


★危険な落とし物


以前書いたことがあったが、
解体が始まったことで、今は道路に様々な廃材が落ちていることがよくある。

その中でこのデッカイ木は特別で、大変危険な落とし物だった。
歩道に動かそうと思ったが、力がないので諦めた。
翌日には、どなたかが歩道に移動させていた。

目の前のトラックから、こんな物が落ちてきたら間違いなく追突事故を起こす。
だから皆さん!
トラックの後ろは、なるべく避けるべきですね。
そして慌てずユックリ安全運転で。


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更新 平成28年9月27日6時


★暑い!


昨日は私用で、市内に出掛けました。
しっかし暑い!
車から降りると、あまりの暑さで、クラ〜とした。

空には夏の雲の積乱雲が、モクモクと立ち昇っていた。

一体、今はいつ?
来週はもう10月では?


★公費解体・自主解体

今熊本県下では、被災した家屋の解体が始まっています。

その解体には二通りあって、
・公費解体
・自主解体があります。



「公費解体」
行政が業者を選んで契約。
解体費用は行政が出してくれる。

「自主解体」
家主が直接業者と契約して、解体する。
解体費は家主が、業者へ直接払う。
その後行政に申請すれば、解体費用はもらえる。
しかし行政の解体費用(安い)の坪単価は決まっているので、
それ以上だと差額を家主が支払うことになる。

ということです。

南阿蘇村は最終的には、943棟が予定されている。(この中にはダイアリーも含まれている)
しかし熊本市は10000棟とは・・・。

県下全部で29764棟!
全てが解体されるのは、一体いつになるのか。
これが済まなければ、住民はこれから先には進めない。

「復興、復興」と言う二文字が飛び交っているが、
まだまだ始まったばかりだし、この先多くの困難が待っている。
それを思うと憂鬱になるが、
この気持、自然災害を経験した人には、わかってもらえると思う。

「頑張れ、頑張れ」と言われてもねぇ、いつまでも頑張られるわけがない。
人間ってそんな生き物ですよ。


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更新 平成28年10月1日7時


★皆さんお久しぶりです。

暫くの間この日記を休みました。

実は解体に向けての片付けが終わった途端、
なにか力が出ず、何もする気が起きなくなりました。
「無気力」のエアーポケットへ落ちたみたいに、
ただボーッとするだけで、何かをしようという気持ちにならなくなった。

ダイアリーママは、「片付けが終わってホッとしたので、
きっと今までの溜まった疲れが出てきたのでは?」と言っている。

自分でも何となくそう思う。

地震発生後、今まで経験したことがない様々な出来事が、私達に襲いかかった。
見れば悲しくなる大地の変貌。
人々の平穏な暮らしが奪われ、
目まぐるしく変わった居住環境。
そしてまだ何も決まっていない、これからへの不安。

そんな中でいままで気丈にしてきた、自分がいたのか。
「頑張れ・頑張れ」と言われるけど、そんなに頑張れるわけがないと、
最近よく思うようになった。

だから今まで内に溜め込んだ何かが、一気に流れ出して、
何もする気が起きなくなったのかも。

本を読んだり、テレビを見たりして、ぼーっと日々を過ごしました。

心配した方からメールを頂きましたが、休んだおかげで、少し元気になりました。
メールを頂いた方、有難うございました。

そしてやっと腰をあげることが出来ました。
この日記を毎日読んでくださる方が多くいらっしゃいますので、
やっぱり更新をしなければいけない。
この日記を続けることで、遠方の方々に阿蘇・熊本の現状を知って頂くためにも。


★サイトを変えて再スタート

今まではダイアリーのHPを直接更新して、日記を書いていましたが、
以前使っていて、2015年3月に一度やめた「楽天ブログ」を使って、
10月2日から再スタートします。

タイトルは「熊本地震被災からの全録・あの日がなければ

引き続きこちらもご覧下さい。


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最終更新日2016年10月1日

ペンション ダイアリー  
〒869-1404 熊本県阿蘇郡南阿蘇村河陽4673 (メルヘン村内) 

平成28年7月よりこちらで生活しています→ 〒869-1404 熊本県阿蘇郡南阿蘇村河陽4732-10 (ペンションおかの家)

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