超阿蘇「不思議がいっぱい」
写真は全てオリジナルです。無断転載を、かたくお断りいたします。
H23/6/13、藤谷神社掲載
H26/2/2、古坊中・三十六坊五十二庵掲載
H27/3/31、中岳ストロンボリ噴火写真掲載
H29/4/9、熊本地震の七不思議・阿蘇版掲載
目次
 火の山阿蘇は・・・・  幣立神宮
 神龍八大龍王神社  南小国・押戸ノ石の丘
 古代文字が刻み込まれているペトログラフ  赤水・蛇石神社
 福の神  小国・鍋ヶ滝
 当銭神社・宝来宝来神社(ホギホギ神社)  田子山(たんごやま)
 免の石(めんのいし)  高森殿(たかもりどん)のスギ
 当宝稲荷神社  垂谷(たるたん)の滝
 小国・富くじ三社参り  馬見原・生目(いきめ)神社
 阿蘇大御神御足跡石  産山・山吹水源
 乙姫子安河原観音  阿蘇ピンク石
 阿蘇の「聖線」水の道  高森・上色見熊野座神社・穿戸岩(ほげといわ)
 古坊中・三十六坊五十二庵
 勝負の神様・藤谷(ふじたに)神社  邪馬台国は阿蘇にあった?
 日中坊主  天空からのメッセージ
 熊本地震の七不思議・阿蘇版  「菊池龍門に龍脈を探す」 (別HPへ飛びます)

火の山阿蘇は・・・・

火の山阿蘇は、世界的にも最大級のカルデラを持つ火山として有名です。
今から約27万年前、大噴火が起き、大量の火砕流が九州各地を流れ下り、その中の一部は瀬戸内海を超えて、対岸の山口県まで達し、そのまま日本海側にも到達した跡が発見されています。
また、高千穂峡、蘇陽峡、内大臣峡などの断崖もこれらが堆積したものです。

また関東から九州へ、西南日本を縦断する大断層の中央構造線は、ここ阿蘇にも通っていると言われています。
そして九州中部の大地は南北に伸びており、引っ張りによる断層が発達し、 阿蘇山や九重連山 のマグマの通り道をつくっていると考えられています。

その巨大な阿蘇のエネルギーは、太古の時より人類の英知を超えて、人々の日々の生活に多くの影響を与え続けています。

それは、数々の神話や伝説に見る事が出来、今なお新しいパワースポットが発見されています。
地下に蠢き、そして湧き上がる大地のエネルギーが、数々の不思議な現象を起こしていると思います。

たとえば、健磐龍命(たけいわたつのみこと)の神話の数々や、UFO飛来説、邪馬台国阿蘇説、ペトログラフ、数々のパワースポットなど、阿蘇は不思議・謎・スピリチュアルがいっぱいです。

名付けて「超阿蘇」

このページは、その不思議の数々の事例の中から、気になるケースを選んで掲載しています。
なお内容に関しては、勝手な独断と偏見で編集しいてますので、悪しからず。

★南阿蘇村吉岡地区は、もともと地表から水蒸気などが噴出する噴気活動が盛んな地域でしたが、2006年10月「泥火山」として突如噴火が始まりました。今でも、すごい勢いで、水蒸気を噴き出し続けています。

★南阿蘇村沢津野地区の「長陽F遺跡」には、今から約12000年前の縄文時代から、弥生時代中頃(約2000年前)までの、人々の生活の跡とみられる遺物が多数見つかっています。

左の写真は、阿蘇中岳のストロンボリ噴火。2015年1月撮影。
右の写真は、2006年10月泥火山として噴火が始まり、今なお水蒸気を噴き上げている、南阿蘇村吉岡地区の泥火山。
超阿蘇「中岳・火炎現象」  超阿蘇「泥火山」
超阿蘇「パワースポット」

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熊本地震の七不思議・阿蘇版

2016年4月14日と16日の、まさかの二度の強震に襲われた熊本県。
我が家も半壊、解体の憂き目にあいました。

現在(2017年4月)は、仮設住宅で暮らしながら、生活再建に向けての日々を送っています。

阿蘇の大地を大きく傷つけた熊本地震。
地震後に身の回りに色々不思議な出来事が起きていた。
その幾つかをここに書き出し「熊本地震の七不思議−阿蘇版」とします。

なお内容に関しては、独断と偏見で書いていますので、
異議申し立てはお断りします。


1【神様が身代わりに】

今回の地震で一番不思議だったのは、
阿蘇神社は倒壊したが、周りの民家は無傷だった。
門前町の民家は、築年も古く昔の家が多いいが、なぜ倒壊せず、
阿蘇神社だけ被害にあったのか。
もしかしたら神様が、住民の身代わりになったのでは。
と思いながら倒壊した姿を見ると、涙が出てきた。


2【橋が先か、山が先か】

阿蘇大橋の落下は、山が崩落して橋はその土砂に流された。
と言うのが定番になっているが、
地震発生時、近くのコンビニにいた店員やお客の話では、
最初に「バギバギ」と音がして、その後「ゴー」と言う音を聞いた。
と言う事は最初に橋が落下して、その直後山が崩落したのではないか。


3【緩やかな傾斜なのにナゼ崩壊】

京大火山研究所の丘の崩落で、高野台団地で犠牲者が出た。
体育館であった説明会での、熊本大学の教授の話によると、
「この丘の傾斜は緩やかなので、なぜ崩落したのかわからない」
そういえば急斜面の山で崩落が多数発生しているが、
ここは以前は散歩で登り降り出来るぐらい緩やかだった。


4【この湧水池だけが枯れた】

南阿蘇は白川水源を始め、小さな湧水水源がたくさんあるが、
地震後、塩井社神社湧水だけが枯れてしまった。
なぜここだけが湧水が出なくなったのか?。


5【山が鳴いた】

災害が発生する直前に、何らかの前兆現象が起きる。
「変な臭がした」「崖から水が湧きでた」「小石がパラパラと落ちてきた」「井戸の水が濁った」などだが、
今回ある地区の人達が、地震が起きる前に「山が鳴いた。今まで聞いたことがない音」を聞いたそうだ。
でも不思議なことに、ここの地区は被害がなかった。


6【あの神話を現代人が体験】

神代の話では、健磐龍命(たけいわたつのみこと)が、外輪山を蹴って壊し、阿蘇のカルデラ湖の水を抜いた。
そこが今の立野地区だ。
アカデミックに考えれば、有史以前に立野で活断層による地震が起きて、外輪山の一部が崩落した。
今の「立野火口瀬」と言われる所だ。

そして今回、我々現代人が体験した熊本地震だった。
被害はここに集中している。
やはり神話には、元となったその史実が、隠されているのでは?


7【すぐ身近に奇跡が】

地震発生時、我が家があるペンション村には、
三十数人の住民と20台の乗用車があったが、ケガ人や車への被害がなかった。
倒壊した建物・電柱や、崩落した土地・道路の被害状況からして、これは奇跡だと思う。
皆んな無事でよかった。
  
写真は阿蘇大橋崩落現場
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幣立神宮

「幣立神宮(へいたてじんぐう)」は阿蘇の旧蘇陽町(現山都町・蘇陽地区)にあり、九州の「へそ」と言われるところで、九州のほぼ真中に位置しています。

この神社は「パワースポット」として有名で、その理由の一つとして、約8000万年前にできた、日本列島を関東から九州まで縦断する、大断層の中央構造線上にあると言われています。
中央構造線は1000kmにもおよぶ日本列島最長の谷と言われ、九州では大分の臼杵から阿蘇を通っています。

元伊勢宮として、祖神を天之御中主とする日の神をおまつりしていて、神代文字で書かれた「日文石版」、世界の人類を示す「五色神面」や「モーゼの水玉」が納められています。

裏手(右の写真)には八大龍王の伝説で有名な「東御手洗社」や「水玉の池」があり、阿蘇の中では一番の、不思議がいっぱいのパワースポットです。

また、「幣立の森」や境内には巨大な杉木が、癒しの空間をかもし出しています。
超阿蘇「幣立神宮」 超阿蘇「幣立神宮・八大龍王」

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神龍八大龍王神社

この神社は、
八大龍王が高知県の龍王岬→徳島県の東龍王山・西龍王山→大阪生駒山→徳島→西暦1575年に菊池に移住して、現在に至るとされています。

境内は、うっそうと生い茂る竹林を通って、大きな杉の木に覆われた、それは々伝説の雰囲気と、マイナスイオンが満ち溢れた場所です。

祠の後ろには、根元から二つに分かれた大きな「夫婦杉」があります。
この杉もご神体の一つとされています。
裏手を流れる川には、「男滝」「女滝」の伝説のある淵もあります。

また境内には、縁結びの「愛染明王神」も祀られ、
学業成就・合格祈願・縁結び・商売繁盛・開運招副で大変有名です。
本物の蛇の脱け殻を、龍のうろこに見立てて出来ている御守り「福蛇の袴」 もあります。

こちらは現在「きくち観光物産館」で販売しています。

そしてここは、私流の勝手な解釈では、龍脈の一つではないか?

風水で言う、大地のエネルギー(気)の流れは、龍脈となって、南方(有明海)から大地の奥深く遡ってくる。
そのエネルギーが「大滝(おたき)」で溢れ出し、
「穴川」→「斑蛇口」そして「神龍八大龍王神社」にたどり着く。
ここが一本の龍脈のラインでは?
詳しくは「菊池龍門に龍脈を探す」をご覧ください。

超阿蘇「神龍八大龍王神社」 超阿蘇「龍門・龍脈」

「下の写真」
あるとき携帯で何気なく撮った、「大滝(おたき)」の写真を見てびっくりしました。
なっなっなんと!そこに巨大な蛇が写っていました。
それは山壁を上から下へゆっくり降りて来て、何かを狙っている様です。
頭は岩がそうと見られるかもしれませんが、胴体部分はなぜか水色にもやっていますね。
不思議ですね。
やっぱりここには何かが・・・・ある!
けっして画像処理を、しているのではないですよ!
超阿蘇「龍門・龍脈・大滝」 超阿蘇「龍門・龍脈・大滝」

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南小国・押戸ノ石の丘

南小国の丘に「押戸石(おしといし)」といわれる大小の石群があり、ストーン・サークル説があります。

石群の中で最大のものは高さ5.5m、周囲15.3mの巨岩でピラミッド型をしていて、
約4千年前のシュメール文字がペトログラフ(岩刻文字)として刻まれて、謎を秘めています。
もっともシュメール文字って言っても、「どれがその文字?」とよくわかりませんが・・・。
コンパスを持ってこの岩の周りを歩いてみると、コンパスの針は異常な振れをして、岩は磁気を帯びているようです。

また、お供え物を置いたと思われる跡のくぼみや、明らかに人為的に穴をあけた祭壇跡の石もあります。

巨石群のある丘は大きな木もなく、360度見渡すことが出来、阿蘇山・九重山・祖母山と素晴らしい展望が開けます。

超阿蘇「押戸岩」 超阿蘇「押戸岩」

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古代文字が刻み込まれているペトログラフ

ペトログラフとは先史時代、岩に刻まれた文字・記号・紋様のことで、約4千年前のシュメール文字が刻み込まれていると言われています。
でも我々素人には、残念ながらどれがその文字なのかさっぱり分かりません・・・。

阿蘇のペトログラフで有名なのは、上記の「南小国・押し戸岩」ですが、
それ以外に「西原村・俵山」や「高森・清栄山」にも発見されています。

「高森・清栄山」

高森町の清栄山は360度のパノラマが広がり、眼下には南阿蘇の町や村が展望できます。国道265号から入ると、途中には、巨大な杉の「高森殿杉」があり、夏場にはさまざまな高山植物が楽しみながら登山出来ます。
さて山頂に写真の岩があり、ペトログラフが刻まれています。
そしてこの岩は磁化されていて、コンパスを近づけると、岩を指してしまいます。
例の南小国の押戸岩も同じ現象が起きます。
超阿蘇「清栄山・ペトログラフ」 超阿蘇「清栄山・ペトログラフ」
超阿蘇「清栄山・ペトログラフ」 超阿蘇「清栄山・ペトログラフ」

「西原村・俵山」

西原村の俵山にも、ペトログラスの岩が多く残されています。
左の写真にも、人の手が加わったそれらしき跡がありますね。
山に登らなくても、麓の道の駅「萌の里」近くの馬頭山公園にもあります。

晴れた日には、遠く熊本市街地や、島原、有明海を望む事も出来ます。

超阿蘇「俵山・ペトログラフ」 超阿蘇「俵山・ペトログラフ」


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赤水・蛇石神社

神話によれば「赤水村」と云う村があり、隼風とともに黒雨天を覆い、雷鳴とともに一条の竜巻天に冲するも、
やがて巨岩の切れたるところ一尺あまりの白蛇居て不思議な霊験を現わすので、
村人たちは蛇石さんと崇め、小祠を建てて祭りをするようになりました。

拝殿の裏にある蛇石と言う巨岩は、上下二つに分かれて重なり、その裂け目に蛇が棲息し現在も姿を見せる事があり、人々に霊験を授け、財を増やしお宝を授かるご利益があるといわれています。

ご神体のつがいの白蛇は、2000年本殿裏の岩場で見つかり、地元の方に保護され、暖房付きの飼育小屋で大事に飼われています。
最近(H22/4)玉子を産みました。
超阿蘇「蛇石神社」 超阿蘇「蛇石神社」
超阿蘇「蛇石神社」 超阿蘇「蛇石神社・白蛇ご神体」

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福の神

阿蘇市の内牧温泉地区にありますこのお地蔵さんは、地元の部落の人が、彼岸花を植樹するために土手を掘っていたら、土の中から、なにやら大きな塊が出てきました。

付いている土を洗い流したら、なんとお地蔵さんでした。
しかも俵の上に鎮座し、手には富くじ(今の宝くじ)を持っていました。
その後、りっぱな祠も建てられ、丁寧に祀られています。

それからです、不思議な事が起こりだしたのは。

それはお地蔵さんを祀った部落の人が、宝くじに当たりだしたのです。
「当たりだした」?そうです1人だけではなく何人もの人たちが!

宝くじ当選実績。
年末ジャンボ 個人買い 3億円2本
         グループ買い 3億円2本
ドリームジャンボ 1千万円1本
その他 50万から5万円多数

今では多くの人たちが、宝くじ当選祈願に訪れています。
旅行会社のツアーにも組み込まれていますよ。
超阿蘇「福の神」 超阿蘇「福の神」出土場所

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小国・鍋ヶ滝

小国の「鍋ヶ滝」はテレビのCMに、また阿蘇のパワースポット番組にも紹介されて、大変人気が出てきました。

この滝は、なんと裏側へ入れます。

裏側から見る滝は、いつもの滝と違った感動があります。水の流れはカーテンの様で面白いですね。

滝からの飛沫で、マイナスイオンたっぷりです。

また、周りは木々に囲まれ、森林浴も楽しめ、大変スピリチュアルな場所です。

駐車場から滝までは杉林の急な下り坂で、足もとに注意しながら降りてください。

超阿蘇「小国・鍋ヶ滝」 超阿蘇「小国・鍋ヶ滝」

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当銭神社・宝来宝来神社(ホギホギ神社)

神社の案内板によると、

『平成十六年春、リストラされた重機の運転手がヘリポートにするため造成を請け負い、工事を行っていたところ大きな岩に当たりました。運転手は、その岩を取り壊そうとしましたが、突然重機が動かなくなりました。そこで修理を行い、その石を取り壊そうとすると、また原因不明の故障で重機が壊れました。

その日の夜、夢に岩が出て来て「どうして私を壊そうとするのか」と、言いました。運転手は「生活の為に金が必要だ」と、答えました。すると岩は、「それなら宝くじを買いなさい。そして当たったお金の一部で私を掘り出して祀ってくれないか。」と、言われました。

運転手は、半信半疑で宝くじを買ったところ、生活に困らない程度の金額が当銭しました。この話を聞いた四国の友人が「この岩」を拝みその年の宝くじを買ったところ途方もない金額が当銭したそうです。

その噂が広まり、誰ともなくこの岩を「当銭岩」と、呼ぶようになりました。
当銭された参拝者の方々よりたくさんの寄付を頂き当地を「当銭神社」として建立致しました。

お参り頂きました皆様にも良いことがありますよう願います。
熊本南阿蘇村 久木野 宝来宝来(ホギホギ)
平成十六年十一月吉日』

との事で、阿蘇では一番新しい当籤祈願スポットです。

とにかくご神体の巨岩は、本当にデッカイです。
最近はTV番組の「ナニコレ珍百景」で紹介されていました。

神社への道は大変せまく、下りの切り返しが必要な場所もありますので、くれぐれも安全運転で行ってください。
超阿蘇「当選神社・ご神体」 超阿蘇「当選神社・境内」

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田子山(たんごやま)

内牧温泉の近くの小高い山で、吉永小百合・竹中直人主演の「まぼろしの邪馬台国」のロケ地にもなりました。
この山には、十三神仏が存在していると言われています
山頂には、金毘羅大権現・青面金剛・尺間権現が祀られ、山中には、「波乗観音」と呼ばれている磨崖仏や、「男亀石」「女亀石」があります。
亀石は、健磐龍命の伝説がありますが、波乗観音の由来はハッキリしないそうです。
また、近くに「日中坊主」や「めぐすり石」もあります。
「めぐすり石」は、岩のくぼみに溜まっている水で目を洗うと、目がよくなると言われています。
「日中坊主」は下記をご覧ください。

山上には駐車場もあります。

写真上の段の左、田子山の山頂から見た阿蘇五岳
写真上の段の右、波乗観音
写真下の段の左、男亀石
写真下の段の右、めぐすり石
超阿蘇「田子山」 超阿蘇「田子山・波乗観音」
超阿蘇「田子山・亀石」 超阿蘇「田子山・めぐすり石」

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免の石(めんのいし)

これは偶然か?
神のいたずらか?

落ちそうで落ちないこの石は、阿蘇南外輪山の崖に、挟まれる様にとどまっています。
この石を目の当たりにすると、
人々は一瞬無口になり、
そして「オーッ!」と感嘆の叫びをあげます。
なぜ落ちない、なぜあの石はここにある?
この不思議な光景は、悠久の時の流れを感じさせる、巨大な阿蘇の力がなしえた業でしょうか。

洞窟の中から免の石を見上げると、北極星と竜座が見えるので、
地元では「竜の卵」と呼ばれ、神聖な場所とされてきました。

近年、パワースポットとして脚光を浴びるようになりました。

また近くの、断崖絶壁には、5〜6人しか入れない、小さな風穴もあります。
この穴から先人達が見たのは、地獄か極楽浄土でしょうか・・・。
この様な風穴を巨大化したのが、高森・上色見熊野座神社・穿戸岩(ほげといわ)にあります。

南阿蘇外輪山には、まだまだ不思議がいっぱいあります。

尚、石は民有地にあり、勝手に入ることはできません。
地元で免の石をめぐるツアーに参加して、ガイドの指導のもとに登ってください。
ルールだけは守ってくださいね。
超阿蘇「免の石」 超阿蘇「免の石」

超阿蘇「免の石」

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高森殿(たかもりどん)のスギ

この杉を初めて見たとき、誰もが思わず叫びます。
「ナニコレ!!!」

薄暗い林の中に、四方に腕を伸ばしたこの杉の巨木は、雄杉と雌杉の夫婦杉で、ある意味異様な風景を醸し出しています。
薄暗いといっても、この二本の杉のみが作り出す「森」で、まるでジブリの世界です。

古い木には、精霊が宿る。
木魂(こだま)と言っていますが、その先人の言い伝えがぴったりの雰囲気が、この杉にはあります。

この杉は高森町から清栄山への途中にありますが、牧場の中にあるので、入口の柵は必ず閉めてください。
入り口がちょっと分かりにくいかな。

超阿蘇「高森殿(たかもりどん)のスギ」 
超阿蘇「高森殿(たかもりどん)のスギ」 超阿蘇「高森殿(たかもりどん)のスギ」

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当宝稲荷神社

南小国のそば街道にある蕎麦屋「千年家」の向かいにあるこの稲荷は、店のオーナーがこの場所に奇岩がある事に気付き、ここは特別な力があるパワースポットではないかと思い、稲荷神社を今から二年前に建立しました。

そのあと参拝客から、宝くじ当選のお礼が届くようになり、先日も祠の前に100万円が入った封筒が置いてありました。
高額当選のお礼との事でした。
この事は地元の新聞にも掲載され、話題になりました。

奇岩は、サルに似た岩・イノシシに似た岩・人の顔に似た岩が見つかっています。

写真上の段の左、神社の参道
写真上の段の右、サル岩
写真下の段の左、イノシシ岩
写真下の段の右、人面岩
超阿蘇「当宝稲荷」 超阿蘇「当宝稲荷」
超阿蘇「当宝稲荷」 超阿蘇「当宝稲荷」

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垂谷(たるたん)の滝

国造(こくぞう)神社で有名な手野の集落の、そのまた山奥に、垂谷(たるたん)の滝があります。

周りは深い森に包まれ、岩盤から染み出すように流れる滝は神秘的で、
マイナスイオンたっぷりの、スピリチュアルな雰囲気です。
不動尊が祀られ、毎年2月28日に祭りがあります。

手野の集落から山道を登っていきます。道は整備してあって登りやすいのですが、ずーっと登りできついですね。
超阿蘇「垂谷(たるたん)の滝」 超阿蘇「垂谷(たるたん)の滝」

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小国・富くじ三社参り

小国町には富くじの歴史があり、小国両神社、けやき水源水神様、鏡ヶ池の恵比寿様は、 古くからご利益があった話も残り、福運三社と呼ばれる開運スポットです。

「鏡ヶ池」は平安時代女性の宝である「鏡」を投じて愛しい男性との再会を誓ったとされる伝説。

「ケヤキ水源」は樹齢 1000 年を迎えると言われるこの大ケヤキは、根元からは、静かに美しく透明な湧き水がコンコンと溢れ、ゆっくりと川に流れています。

「小国両神社」は江戸時代、富くじを行っていました。富くじは年々盛んになりその祈願をした場所が今でも残っています。

三社とも参拝すると、小国両神社でお清めをした五円玉を福銭として貸していただけます。 何かいいことがあったら、返却して福の輪を広げましょう。
 超阿蘇「小国、富くじ三社参り・ケヤキ水源」 超阿蘇「小国、富くじ三社参り・鏡ヶ池」
超阿蘇「小国、富くじ三社参り・小国両神社」

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馬見原・生目(いきめ)神社

「イヤシロチ」と言う言葉を聞いた事ありますか?
その土地に行くと、気持ち良くなり力が湧いてきて、癒される場所のことですね。

逆に「ケガレチ」と言う言葉があります。
そこは何となく、いや〜な気持ちになり、気が滅入る場所です。

ここ山都町・馬見原にある生目神社境内は、な〜んとなくゆったりとした感じがして、気持ちいいです。
境内のベンチに座って、目の前を流れる五ヶ瀬川と、川岸に広がる宿場町として栄えた馬見原の町を、眺めていたら気持ちが安らぎます。
パワースポットならず、イヤシロチですかね。

神社は目の神様が祭られています。

また近くの森の中に、小さな祠があり、龍神やお稲荷さんが祭られています。

超阿蘇「馬見原・生目神社」 超阿蘇「馬見原・生目神社」
超阿蘇「馬見原・生目神社」

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阿蘇大御神御足跡石

江戸時代の肥後国誌に残るこの巨石を、近年地元の人が掘削し、姿を現しました。

その記録には「四五尺計ノ石二両足揃テ深サ六七歩アリ、雨天の節、水溜ル事ナシ不浄ノ人近ク寄レバ祟アルト伝」と記されて、霊験あらたかな石です。

またこの足跡石は、健盤龍命がこの岩に立って、阿蘇の安泰と五穀豊穣を祈られたとされています。

この石は南阿蘇村を、国道325線を高森方面に向かって行くと、国道沿いにあります。
超阿蘇「阿蘇大御神御足跡石」 超阿蘇「阿蘇大御神御足跡石」

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勝負の神様・藤谷(ふじたに)神社

阿蘇市の「阿蘇いこいの村」の近くにあるこの神社は、、勝負の神様です。

由緒には、717年、神が「天竺の龍海山より阿蘇の峰へ降臨あり」と伝えられ、「里人は阿蘇山中の天狗岩(俗称天狗谷)に之を祀れり」とあります。
その後、この祭神・大山祇神(おおやまつみのかみ)を天狗様として崇敬し、里人の信仰を集めて、試合・受験・就職・商売繁盛・交通安全などのご利益があり、親しまれています。

超阿蘇「藤谷神社」 超阿蘇「藤谷神社」

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産山・山吹水源

阿蘇には白川水源を始め、多くの水源がありますが、この「山吹水源」は深山にあり、ほとんど人が訪れる事もなく、他の水源とは一味違った雰囲気を醸し出しています。
静まり返った水源に佇んで、耳を澄ませば、時折野鳥の鳴く声や、風が小枝を揺らす音が聞こえてきて、時の経つのを忘れてしまう深山幽玄の世界です。
何も考えずに、ひたすら水面を眺めていると、心が落ち着く、そんな不思議な力を持った水源です。
超阿蘇「産山・山吹水源」

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乙姫子安河原観音

この子安河原観音は、「子授り」「安産」で有名な所です。
子安河原観音堂の裏にある水の流れていない河原には、女性が仰向けに寝そべっているような形をした岩があり、それを御神体の観音様に見立ています。
また男の子を希望される方は、御神体の付近の黒い石を。女の子を希望される方は、赤い石を持って帰られると、願いが叶うとされています。
最近人気急上昇で、全国から参拝に来られています。
超阿蘇「乙姫子安河原観音」 超阿蘇「乙姫子安河原観音」

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古坊中・三十六坊五十二庵

かつて阿蘇山上は、山岳仏教の一大霊地で、三十六坊五十二庵の寺院と住居などが立ち並んでいた。
そこでは常時、300〜400人の修行僧がいたと言い伝えられている。
阿蘇の山には、僧侶たちの読経や、山伏たちの吹き鳴らすほら貝が、響き渡っていた。
約850年続いた古坊中は現在、梵字の刻まれた板碑に、往時の面影を偲ぶばかりです。
板碑の前に佇み、今なお活動を続ける阿蘇山を目の当たりにすると、草原を渡る風に乗り、時空を超えて読経が聞こえてくるような、そんな気持ちにさせられます。

場所は阿蘇ロープウェイ乗り場近くの原野あたりです。
尚、JR阿蘇駅周辺は「麓(ふもと)坊中」と云います。
 

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阿蘇ピンク石

ずーっと大昔、阿蘇が大噴火した時、火砕流が九州各地、いや瀬戸内海を超えて山口県まで到達しました。
その中に有明海に到達して、堆積した火砕流の中に、ピンク色したものが出土されています。
名付けて「阿蘇ピンク石」
今も、宇土馬門地区に、採石場があります。

この不思議な色をした石は、大和朝廷時代に呪力を持っているとされ、当時の権力者の石棺などに使用されていました。
特に畿内地方までこの石が運ばれ、古墳の石棺に多く見られるそうです。
また地元の鳥居や石橋などにも使われ、宇土地方に今も沢山残っています。

写真上の段の左、阿蘇ピンク石
写真上の段の右、人影が無く、ひっそり静まり返った採石場
写真下の段の左、採石場近くの赤石神社、ピンク石が使われています
写真下の段の右、大歳神社の鳥居も「阿蘇ピンク石」
超阿蘇「阿蘇ピンク」 超阿蘇「阿蘇ピンク」
超阿蘇「阿蘇ピンク」 超阿蘇「阿蘇ピンク」

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阿蘇の「聖線」水の道

超阿蘇「阿蘇聖線」名水が生まれる阿蘇は、南北に連なる水の道「聖線」が存在します。

北外輪山の麓にある、健磐龍命(たけいわたつのみこと)のナマズ伝説の祠がある「国造神社」の近くの、「手野の名水」から始まり、

阿蘇神社の神の泉は清水があふれ、門前町にも湧き水が「水基」として、今も地元の人たちの生活に欠かせません。

聖なるラインは、仙酔峡・高岳・中岳と続き、日本有数の湧水量を誇る「白川水源」と続きます。

さらに南下すると、南外輪山中腹に位置する「清水寺」に行き着きます。
この寺の名前通り「清い水」を連想させます。

阿蘇神社が水の神様と尊ばれ、また聖線上にある他の神社仏閣はいずれも、水とかかわりがあると思われます。

注) 阿蘇神社は元々「火の神」と祀られたが、後に「農耕の神」そして「水の神」が付加されたと言われています。






写真上の段の左、阿蘇神社の近くの、水基の里商店街
写真上の段の右、ナシの木が、白い花を咲かせる清水寺
写真下の段の左、手野集落の奥にある、手野の名水
写真下の段の右、一年を通して、多くの人々が訪れる白川水源
超阿蘇「阿蘇聖線」
「水基」
超阿蘇「阿蘇聖線」
「手野の名水」
超阿蘇「阿蘇聖線」
「清水寺」
超阿蘇「阿蘇聖線」
「白川水源」
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高森・上色見熊野座神社・穿戸岩(ほげといわ)

高森上色見にある「熊野座神社」の本殿の裏の、月形山の中腹にある風穴は、健磐龍命(たけいわたつのみこと)に追われた鬼八が逃げる途中、この神社の御神体の穿戸岩を、蹴破った時に出来たとの伝説があります。

この風穴が、パワースポットとして紹介され、多くの人々が訪れています。

風穴に佇むと、時折冷たい風が吹き抜け、太古の人々の囁きとエネルギーを感じさせます。
また岩盤の天井からは、水滴が滴り落ち、太陽の光を反射して、神々しさも醸し出しています。

尚、この神社は、伊邪那岐命(イザナギノミコト)、伊邪那美命(イザナミノミコト)を祭神としています。

場所は、高森町色見郵便局の向かい側です。
超阿蘇「上色見熊野座神社・穿戸岩」

超阿蘇「上色見熊野座神社・穿戸岩」 超阿蘇「上色見熊野座神社・穿戸岩」

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邪馬台国は阿蘇にあった?

日本全国津々浦々に立候補地がある「邪馬台国」。
学者や素人考古学者が、九州・畿内・吉備・出雲・四国・尾張・千葉県・甲信越・岩手県など諸説ぷんぷんの議論を戦わせています。

なぜこんなに「邪馬台国」の場所が分からないのか、
「魏志倭人伝」に邪馬台国までの道程が残されていますが、古文書は当時の権力者によって改ざんされるのは至極当然。
自分たちの都合の悪い事は削除し、自分たちの都合のいいように書き換えてしまいます。
日本国の正史である「古事記」や「日本書紀」にもその可能性があります。
だから「魏志倭人伝」に書いてある事は、100パーセント本当かどうかはわかりません。
実際「魏志倭人伝」の内容にも改ざんの疑いがあり、また距離・方角もおおざっぱで、色々な解釈出来てしまうので、ますます複雑になってしまっています。
一番いいのは、古墳から当時の権力者の遺物が発見されると、ハッキリわかるとある本に書いてありました。

そんな中この本は、地球幾何学と言う手法を駆使して、邪馬台国があった場所を探したら、なんと阿蘇だった!
なんか阿蘇に住んでいる者にとっては、ワクワクする説ですね。
記事には、良く知っているお店そこのご主人の事も書いてあって、大変親近感がありました。
興味のある方は、一度お読みになってみてください。
光文社・カッパサイエンス 「ヤマタイ国は阿蘇にあった」 著・渡辺豊和氏 ISBN 4-334-06072-2
超阿蘇「邪馬台国は阿蘇にあった」 超阿蘇「邪馬台国は阿蘇にあった」

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日中坊主

それは天気のいい日の正午ごろ、阿蘇の北外輪山の中腹から、ピカリと輝く光が見え「日中坊主」と呼ばれています。

以前地元の有志の方が、その場所を特定するために捜索して、大変険しい岩壁の下に凹面鏡状に磨かれたような跡が見つかったそうです。
調査の結果、人工的に磨かれたように見えるこの石は、なんでも有史以前に造られたのかもしれないとのこと。

私はその光を見た事が無いので、一度見てみたいものです。
また、その岩がある場所へも行ってみたいのですが、結構大変みたいですね。

「日中坊主」でネット検索してみてください。当時の記事を見る事が出来ます。

写真はイメージです。
超阿蘇「日中坊主」

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天空からのメッセージ

不思議がいっぱいの阿蘇は、その現象が空の雲にも見られます。

左の写真は平成21年11月11日、西の空を撮影したものです。
当日は風も強く、ゴーという風の音と共に、風に流されて雲の形も勢いよく変化していました。
この赤く染まった雲を、ただの夕焼け雲と見るか、 はたまた、空を乱舞する赤い龍と見るかは、それは皆さんの自由ですが。

右の写真は平成22年2月3日の夕方撮影。
西の空に「彩雲」を見ました。
最初、右側だけしか見えなかったが、気がつくと太陽を中心に円を描くように彩雲が発生していました。
彩雲(さいうん)とは、太陽の近くを通りかかった雲が、緑や赤に彩られる現象で、吉兆とされています。

下の写真は平成22年11月4日の撮影。
免の石登山時、阿蘇の青空を舞う、真っ白な「鳳凰」を見ました。
不思議なパワーを持つ免の石にいる我々を見守っているようで、大変感動しました。

超阿蘇「赤い龍」 超阿蘇「吉兆の彩雲」
超阿蘇「阿蘇の空を舞う鳳凰」

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最後に

最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今回ご紹介のケース以外にも、阿蘇には不思議や謎がまだまだいっぱいあります。
随時更新を予定しています。
ご期待ください。

しかし・・・・。
降ってわいたような、最近のパワースポットブーム。

ここ阿蘇も、パワースポットがTV各局で紹介され、
今までほかの人と、出会ったことがないような場所にも、自家用車がいっぱい。
山道は看板が新しく設置してあったり、草刈して歩きやすいようになっていたり。

まあ、私もパワースポット大好き人間だから良いとしても、あまり賑やか過ぎるとね・・・・。
本当は静かな雰囲気の中でゆっくりと瞑想すると、パワーをいただけると思いますが。



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