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【熊本地震後のペンションダイアリーの近況報告】

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10月2日からは「熊本地震被災からの全録・あの日がなければ



目次

更新。各日付の箇所へ移動します。

6月8日
6月9日
6月10日
6月11日
6月12日
6月13日
6月14日
6月15日
6月16日
6月17日
6月18日
6月20日
6月21日
6月22日
6月23日
6月24日
6月25日
6月26日
6月27日
6月28日
6月29日
6月30日


更新 平成28年6月8日7時


★傾いている・・・


阿蘇市の狩尾地区で、傾いた高圧送電線の鉄塔を見た。


その鉄塔の地面の周りには、無数の地割れがあった。
ここは地震を起こした布田川断層帯の延長線上にあり、
未知の断層が動いた可能性もあるという。

でも深刻なのは、亀裂が入っている田んぼは、田植えが出来ない。
また亀裂のない田んぼは、水路が切れていて水が来ないので、こちらも田植えが出来ない。
農業にも影響が出ている。


仮設の鉄塔が並んでいた。

白い建物は「大阿蘇環境センター未来館」
ここは燃えるごみをリサイクルする固形燃料化する施設ですが、
こちらも建物の周囲に亀裂が見つかったので、今は停止している。

★梅雨期避難説明会

以前避難場所としてお世話になった、中学校の体育館で梅雨期避難説明会があった。
南阿蘇村の村長を始め、熊本大学の先生・気象庁・県や村の担当者などが、
今回の地震の発生メカニズムや、今後の梅雨時期の注意などの話があった。

特に今回の被害の特徴として、地震の揺れによる地面の亀裂、
山の崩落が指摘されていて、梅雨の大雨が亀裂に染みこんで、土石流の発生が懸念される。
質疑応答の時には、活発な質疑が繰り返された。
やっぱり皆さんは今住んでいる場所が、安全なのかどうなのか知りたいが、
明確な答えが出ないので、心配は増すばかりだ。

私も挙手をして、メルヘン村の丘は今後どうなるのか、質問してみた。
県の担当者は「私たちは砂防課で、担当は土木課になるが、法面の補強を考えているのでは」との回答だった。
私達メルヘン村の住民は、あそこがどうなるのか一番知りたいのだが、今回も明確な回答がなかった。
多分、国や県ではすでに決定しているが、まだ発表する時期ではないのか。
一刻でも早く情報を教えてほしい。


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更新 平成28年6月9日7時


★望遠で撮ると

最近写真撮影に、デジタル一眼が復活したが、
このカメラでどうしても撮ってみたい場所があった。

それは今回の地震で頂の一部が崩落した「根子岳」です。



矢印の部分が崩落した箇所。


今回望遠レンズで撮影したら、崩落した箇所の状態がよくわかった。
垂直に残った山肌が、白く見えた。

望遠レンズを使用して、撮りたい場所があともう一箇所あるが、まだ撮影に成功していない。
そのうち発表できると思います。


★サプリメント配布




避難所生活が続いているので、健康のためにとサプリメントの配布がありました。
1日に四種類を飲むようになっているが、
黄色い尿が出るようになったのでやめた。
身体にはいいと思うが・・・。


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更新 平成28年6月10日6時

★「山王谷川」

中学校で避難生活をしている時、「長野集落」の人達が合流した。
その時は長野でも被害があったのか、ぐらいしか認識がなかった。
しかし6月8日の説明会の時、熊大の先生の話にここの箇所が出てきて、
事の重大に気づいた。
行ってみると、こちらもひどい状態だった。

集落の中を流れる「山王谷川」に土石流が発生して、
氾濫した土砂がビニールハウスを覆い尽くした。

国土地理院の動画が「こちら




現地は流れてきた土砂を撤去する作業が行われていた。
山王谷川は「さんおうだにがわ」と読み、神楽で有名な長野阿蘇神社の近くを流れています。


★犬も戸惑う


ある日ペンションで片付けをしている時、シュウを玄関に繋いで作業をした。
シュウは落ち着かず、クンクンと鳴き続けていた。
犬も室内の異常な状態に、戸惑っているのかな。
室内は割れたガラスなどが散乱しているので、靴を履いたまま移動している。


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更新 平成28年6月11日7時


★心配される土砂災害


熊本の新聞に土砂災害の危険箇所の記事が載っていた。
南阿蘇村は外輪山に囲まれているので、急斜面が多く、危険な箇所が多くあります。
この図を見ても南阿蘇村が突出している。
家屋倒壊が多かった益城は、大きな山がないので少ないです。

梅雨に入り、特に梅雨末期の大雨で土砂流出の恐れがあります。
だから罹災証明の程度には関係なく、希望者は全て仮設やみなし仮設に入れるようになりました。
普通のこような事はないのだが、今回は特別こ南阿蘇村だけに適用されました。


★雨の朝


ある日、朝から冷たい霧雨が降って、霧も発生して山を覆ってきた。
その日は避難場所で一日過ごした。

デジカメのホワイトバランスを「電球」にセットすれば写真のようにブルーに発色する。
見た目と違うので、あまり使ったことはないのだが、今回雰囲気作りのために使った。
ちょっとした裏技でした。


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更新 平成28年6月12日7時

★30年前が蘇るお見舞金

ペンションを始める前、勤めていた山口の元職場(宇部興産ラクタム工場)の皆さんから、
今回の地震被害のお見舞金を頂きました。

今から30年前、退職して阿蘇に移住したのですが、
自分の都合で退職したにも関わらず、
大勢の方からお見舞金を頂き、大変申し訳ない気持ちでいっぱいです。

一緒に頂いたリストには、懐かしい人々の名前が載っていました。
当時の管理職の方を初め先輩・同期・後輩、また隣の職場の人達など、
皆さんの名前を読んでいると顔を思い出し、懐かしさと嬉しさのあまり涙が出てきました。

また昨年崎里さんが、料理教室のグループを引き連れて宿泊された時の、
先生やメンバーの方もいらっしゃいました。

淺上さん
安藤さん
崎里さん
桜井さん
塩瀬さん
末富さん(お便りも有難うございました)
椙村さん
鈴川さん
戸上さん
長嶺さん
広橋さん
福湯さん
宮本さん
佐伯さん
住友ご夫妻
長野さん
吉永さん
羽島さん
古谷さん
高松さん
福田さん
棟田さん(お米や野菜も有難うございました)
岩本さん
赤松さん
桑原さん
大田さん
品田さん
秋村さん
(順序不同)

皆さん有難うございました!
こんなに多くの皆さんから頂いて、本当に本当に嬉しかったです。
お見舞金は、大事に使わさせて頂きます。

また取りまとめをして頂いた崎里さんにもお礼申し上げます。
もうほとんどの人は定年退職して、ばらばらになっておられると思いますが、
これだけの人達に連絡を取られ大変だったと思います。
どうも有難うございます。

皆さんにはいつになるかわかりませんが、
落ち着きましたら必ずご連絡を差し上げます。


右が取りまとめをされた崎里さん。
左が一緒に来られた福田さん。
お二人は今までダイアリーをよくご利用頂きました。
犬のシュウが福田さんに吠えていたが、何故吠えるのか分かる気がする?


被害が大きかった場所に案内したが、想像以上の光景に驚いていた。
写真で想像するより、現地に立って被害の大きさを実感して、
熊本地震の事を、いつまでも記憶に留めて頂きたいと思います。


★今回ご紹介した皆さん以外にも、多くの方からお見舞金を頂いております。

ダイアリーの最古リピーターの龍さん
知人の中島さん
いつもお世話になっている岡部さんとそのご家族
子どもの勤務先より
あと親戚関係
本当に有難うございました。
この場を借りてお礼申し上げます。


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更新 平成28年6月13日7時


★久しぶりの息抜きは新緑の草原

先日、予定していた作業が中止になって時間があったので、
急遽久住山に、ミヤマキリシマを見に行きました。


久しぶりに走った北外輪山は、緑のビードロの草原が続いていた。
そうかもうこんな季節になったのか。
日頃何気なく見ている景色だが、今回はいつもよりキレイに輝いていた。
やっぱり阿蘇はいいなぁ。


この風景も阿蘇の魅力の一つで、
旅人に「いつまでも眺めていたい、また来たい」と思わせます。


弁当を食べるには最適な場所に、ベンチを見つけた。
今までなかったが、最近地元の観光協会が設置したようだ。
私たちはいつもこのような場所を探して、弁当を食べているが、
目の前に広がる景色を見ながら食べる弁当は、
いかなる豪華なランチよりも旨い!。


肝心の久住山のミヤマキリシマだが、牧の戸の駐車場は登山者で満杯だったので、
離れた場所から眺めただけだったが、今年は結構咲いているみたいだった。
実は一年前、ミヤマキリシマを見るために、初めて久住に登った。
でも花は不作で、全然咲いていなかったので、
来年(今年ですね)もう一度チャレンジと思っていた。
それが今年は登山どころではないし、
なんとなく疲れが出てきたようで、なんとなく気力も・・・。
来年は登れるかな。

★昨日は南阿蘇村での「義援金」の申請が始まりました。
全国の皆様!海外の皆様!有り難うございます。
皆様の善意は大事に使わさせて頂きます。

★6月10日、メルヘン村のメンバーと南阿蘇村の観光課との初協議がありました。
今日は今から「みなし仮設住宅」の申し込みと、
「罹災証明の二次審査」請求の手続きに役場へ行きます。

あの地震からもう時期二ヶ月になります。
やっと復興に向けて進み出しました。


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更新 平成28年6月14日7時

★残った一本の電柱

6月9日にチョット触れたのですが、写真撮影にデジタル一眼が復活して、
ズームレンズを使えるようになったので、ある物を撮りたかった。
それは崩落した阿蘇大橋の近くの外輪山の頂にある、一本の電柱だった。


それは以前、外輪山に沈む満月を撮った時、偶然一緒に写り込んだのだ。
ピントが合っていなかったので、一年後に同じ場所からもう一度撮ろうと思っていたが、
撮影場所の乙ケ瀬の棚田も今回の地震で崩落して、近寄ることが出来なくなった。

しかし最近になって、肉眼でその電柱が見えるのに気づいた!


まず標準レンズで撮影。
電柱は赤い矢印のところにある。
黄色は二年前の北部九州豪雨で、土砂崩れが発生した箇所に、新しく作られた砂防ダムです。
三段に作られた。
今回はこの砂防ダムは役目を果たしたみたいだが、そのダムの右側が崩落していた。


ズームレンズで拡大して撮った写真ではよく分かる。
その電柱は倒れず、立った状態で残っていた。
周りの山肌が崩落するほどの、大きな揺れだっただろうに、よく耐えたものだ。

赤茶色の山肌は、すべて今回の地震で崩落した跡です。
このような状態は、いたるところで見られます。


この電柱の向こう側には牧場があって、地震以前はここまで車で登る事が出来たが、
今はその道も崩落していて辿り着くのは不可能だ。
地震前に、電柱の側で撮ったのが、上の写真です。
果たしてここまでの道は復旧するのか分からないので、貴重な写真になった。


★今日は南阿蘇村で石原軍団の炊き出しがあります。
「何時頃」「何処に来るの」と奥様達は朝からソワソワ。
タレントの炊き出しや慰問は、人気取りだと言われるが、
それでも被災者に元気を与えてくれるのは、間違いないから歓迎です。
と、被災者になって思った。


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更新 平成28年6月15日7時

★地震に強かった校倉造り

ダイアリーの建物は、外観を見ただけでは、今回の地震でそんなにダメージを受けていないように見えます。
実際中に入っても壁などはキレイで、大きく破損はしていません。
家具などは散乱していますが。

実はダイアリーの建物は「校倉造り」と言う工法で作られています。

校倉造りとは、
三角、四角、あるいは丸太の断面の木材を水平に積み重ね、
角の部分でかみ合うように交差させて、壁体を構成する工法。
日本では東大寺の「正倉院」が有名です。
北米のログハウスは丸太を使用したものが多く、
校倉造りの工法と同じです。
(以上、住宅建築専門用語辞典より)

だからダイアリーは、わかりやすく言えば、「四角い角材のログハウス」ということですね。


ダイアリーの壁は、厚さ7センチの杉の木を、何本も積み重ねて作っていて、
在来工法の壁とは違い、厚みがある一枚の壁を構成しています。
だから建物の強度が増して、今回の地震でも倒壊しなかったのですね。
しかも建物自体が重いので、基礎も頑丈に造ってあってヒビも入っていません。

しかし一番下の土台の木が、今回の地震で潰れてしまって、このままでは住めないので、いずれ解体します。
また基礎から上が大丈夫でも、土地に亀裂が入っているので、一部土地の補強工事も必要です。


★今年も咲いたホタルブクロ


ダイアリーの駐車場に、地震で折れて倒れた電柱の側に、ホタルブクロが咲いていた。
トランスにより掛かるように一輪咲いていた。

例年なら、今の時期は野山や庭に色とりどりの花が咲き、撮影に忙しいが、今年はそんな持ちもわかない。
「地震直後は気持ちは高揚し、時間が経つと不安にさいなまれる」
と新聞に書いてあったが、分かる気がする。
これから何処でどう暮らすのか、なかなか決まらない。
悩んでいる日々が続いています。


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更新 平成28年6月16日7時

★水道の普及状況を見て


村が発行する災害情報誌に、水道の復旧状況が載っていた。
ダイアリーのあるメルヘン村は乙ケ瀬地区だから7戸か・・・
えっ!これってメルヘン村だけじゃぁないか。(メルヘン村には7軒ある)
乙ケ瀬の他の民家は皆んな水は出ているのか。

まあ仕方ないといえば言えるのだが。
メルヘン村の敷地内に、メルヘン村専用の水道の井戸があって、
これが止まったままになっている。
早く水だけでも出るようになると、片付けの作業に助かるが。

あっ!その前に電柱が折れたままなので、電力会社がまず電気を通すことが必要か。
水道の水中ポンプは電気で動くから。

あっ!その前に電柱を立てる重機が、メルヘン村に登れるように道の整備が必要か。

と、メルヘン村は地震直後そのままなのです。


★被災地にも夏雲が


その日はうだるような梅雨の晴れ間だった。
今からこの暑さでは、今年の夏はどうなるのか。

阿蘇五岳の「杵島岳」の上空に入道雲が出ていた。
山肌に爪で引っ掻いたような焦げ茶色の痕が見えるが、今回の地震で崩落した箇所です。

今は登山禁止になっているが、この山にも多くの思い出があった。
最近では昨年の9月に阿蘇山が噴火した時、この山に登っていた。
皆さんはTVで「こちら」の映像を何度も見られたと思いますが。
「杵島岳」は噴火した「中岳」の隣りにあります。
降ってきた火山灰の中、かろうじて生還出来て良かった。

拡大写真は「こちら


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更新 平成28年6月17日7時


★昨日は本震から2ヶ月が経った。
早いものであっという間の2ヶ月。
この間、今まで体験したことがない色々な事が、次から次へ襲ってきた。
でもメルヘン村は当時と変わっていない。
一体いつになったら先に進むのか?

今日は阿蘇市で「グループ補助金」の説明会が行われます。
これを機会に先に進めればいいが。


★無人のメルヘン村に流れる拓郎の歌声


私の趣味は写真撮影ですが、もう一つオーディオがあります。
と言っても高級なオーディオ機器を揃えるのではなく、
昔懐かしい機器を、ハードオフやオークションで安く買います。
そして音質にはこだわらず、色々な音楽を聞くことです。
クラシックやラテン・歌謡曲・フィージョンなどなんでも聞きます。

古い機器をペンションにも揃えていたが、プレイルームに設置していた機器は、
地震で潰れたり破損してしまった。
唯一食堂に置いていた装置は、外観が大丈夫みたいだったので、鳴らしてみることにした。

メルヘン村には電気が来ていないので、電源はホームセンターで、インバーターを購入。
駐車場に停めてある車のシガーライターに差し込んで、
音源は吉田拓郎のCDを使用。

恐る恐るスイッチをON。

鳴った!
音が出た!
嬉しかった。

久しぶりに聞く拓郎の歌声。
アンプのボリュームを上げた。
誰もいなくなったメルヘン村の丘に、拓郎の歌声が流れていた。

♪私は今日まで生きてみました
 時には誰かの力を借りて
 時には誰かにしがみついて〜

この「今日までそして明日から」は、拓郎が25歳の時作詞作曲。
25歳でこの歌詞を書くことが出来るなんて、やっぱり天才では?


★石原軍団

5日間に渡って行われた石原軍団の炊き出しは、12000人の被災者に振る舞われた。


南阿蘇村は特別養護老人ホーム「陽ノ丘荘」であったが、
なぜ陽ノ丘荘だったのか?
陽ノ丘荘はお年寄りの施設で、はてしてどれだけの爺ちゃんや婆ちゃんが、
岡田や長瀬などのタレントを知っていたのか疑問が残る。


婆ちゃん達の会話
「行ってみるといいよ、神田正輝が来るし」
「かん(?)ひろしも来るし」

これは実話です。


尚、集まった全員に炊き出しの恩恵を受けたのではなく、食券を持っていた人達だけでした。
どうもお年寄りと職員などの、陽ノ丘荘の関係者だけみたいでした。
このこともなにか釈然としない。
集まった若いママたちに「頑張ってください」と、握手だけでも良かった。
それだけでも皆んなは、元気や希望をもらうことが出来たのでは。


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更新 平成28年6月18日8時

★出た!今度は巨大雲海だ!


阿蘇平野を覆い尽くす雲海は時々発生するが、
今朝の雲海は特別に巨大だった。
やっぱり阿蘇はいいなぁ。

拡大写真は「こちら


★復興の助っ人となるか


昨日、グループ補助金説明会が阿蘇市であった。
開始時間には、会場に入れないほど参加者が集まったので、
急遽二回行われることになった。
やはり復興費の75%の補助金が充てられるとなって、皆さんの関心が高い。

実は今回の前に、二度ほど説明会に参加していた。
一回目は、岩手県で実際にこの補助金を使われた方による。
二回目は、福島県で申請などの業務にあたった方による。
二回とも東北地震での経験者だから、この補助を受けるコツを色々教えてもらった。

今回は熊本地震バージョンの説明だったが、
東北バージョンと違いはそんなに無かった。
ただ色々ハードルは高いと思った。


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更新 平成28年6月20日


★神社は地震に弱い?


国道57号線から県道207号線に入り、大津町瀬田集落にある「瀬田妙見神社」
この神社は、桜と前を流れる用水路の、織りなす風景が美しいです。
写真は地震前の満開の桜と石橋。


境内の崖下に山之神、年之神、天満宮、地神と刻まれた4つの自然石が祀られているが、
地震でどうなったのか。
石橋が立入禁止が出ていたので、境内に入れないので不明。

また社殿が潰れていたし、
前を流れる川も水がなくなっていた。
黄色い矢印が、屋根を残して潰れた社殿。

しかし今度の地震では、多くの神社が倒壊している。
神社の作りは、地震に弱い構造なのだろうか。
建物の上部が大きくて高床式、しかも床の下が、長い柱で出来ている。
しかも床下には、筋交いは入っていない。
これでは地震で上部が揺れて倒壊しやすくなるのでは?


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平成28年6月21日8時

★地震の後は土砂災害

昨夜から今朝にかけて、九州西日本では台風並みの、酷い天気でした。
地元阿蘇でも、猛烈な雨と強風・停電で怖かった。


早朝、災害メールが入ってきた。
土砂災害が出ていて、多くの箇所で通行止めとなっていた。
赤い矢印の三カ所が通行止めということは、
南阿蘇から阿蘇市への移動が、遮断されてしまった。

保育園・小学校・中学校は、休校になりました。

地震の次は豪雨による土砂被害とは。


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更新 平成28年6月22日8時


★豪雨による土砂被害

昨日雨が収まったので、メルヘン村に戻ってみた。

そこで見たのは豪雨で流された大量の土砂だった。
それは崩落防止の黒い土のうまでも、押し流していた。

土砂崩れが発生した時、偶然通りかかった人(この人は明日も登場します)によると、
鉄砲水のような大量の水と土砂が流れたそうだ。

いったいどこまで崩落が続くのか。


県道を挟んで、メルヘン村の反対側にある棚田も、流れて来た土砂で埋まっていた。
写真の田んぼの左側にも田んぼが続く、その全てが埋まっていた。

すぐ側に流れている濁川に、土石流が発生したようだ。
白く木肌が見える流木や、田んぼを埋め尽くした大量の土砂の量。
また川には大きな石が数多くあった。

ここは北部九州豪雨でも、濁川に土石流が発生し、
その復興が終わり、田植えが済んだばかりだったのに・・・。


★今日も朝から大雨で、土砂災害警報が出ていて、今日も学校は休校になった。
昨日は熊本で6名の方が、豪雨で亡くなられている。
熊本は天災でどこまで傷めつけられるのか。


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更新 平成28年6月23日7時


★間一髪で助かった


昨日の続きですが、
迂回路として新しく作られた道路の側の畑の中に、
一台の乗用車が埋もれていた。


私達の側に一台の車が止まった。
夫婦の方が降りてこられて、
ご主人(白い帽子の人)が言われました。
「あの車は私のです」???!!!
「えっ!じぁあの車で運転中に、土砂に巻き込まれたのですか?」
「はい、左から鉄砲水が流れて来たので、急ブレーキをかけて止まったが、右に流された」

いやいやビックリしました。
畑の先は濁川がある。
あと少し先に進んでいたら、
流れてきた土のうに押されて、川に流されたのでは。
考えただけでも・・・。

車には大きな損傷はなく、泥で汚れているだけみたいでした。
本当に間一髪で助かってよかったですね。

その後、車はレッカー車で運ばれていった。


★昨日も大雨が降った。
今日も雨が降っている。
熊本だけでなく、西日本全域に豪雨被害が出ている。
もうそろそろ雨は勘弁してほしい。


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更新 平成28年6月24日7時


★豪雨で再び山の崩落

立野地区で先日の豪雨で、大規模な山崩れが起きました。

場所は崩落した阿蘇大橋から、約5キロ熊本へ向かった国道57号線上です。


ここは最近、国道57号線の四車線化で、工事が完了したばかりだった。
新しい交差点や、側の豊肥線も土砂に流されてしまった。

やはりここの山も地震で亀裂が入って、
そこに流れ込んだ雨の水で、斜面がゆるくなって崩落した。
こういったケースが、多くの箇所で発生している。

写真の右のホテルは、北部九州豪雨で土砂災害に遭った。
その時、ボランティアで土砂排出などで参加したが、
阿蘇はなぜ何度も自然災害に見舞われるのか。

もっとも阿蘇だけではない。
昨日も豪雨災害が全国各地で発生している。
自然には逆らわれないし、コントロールも出来ない。
人間の力って小さいものだから。


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更新 平成28年6月25日9時

★復旧工事の復旧工事

豪雨の被害が広がっています。


写真は熊本空港のある西原村と、南阿蘇を結ぶ俵山ルートです。
ここも地震で、トンネル・橋・道路が、壊滅的な状態になっていて、
いま復旧工事が急ピッチで行われています。

しかし今回の豪雨で、復旧工事事務所の側で、大規模な土砂崩れが起きてしまった。
なので復旧工事の復旧工事も急ピッチで、行われています。

とにかく地震で地盤に亀裂が入ったり、緩んだりした時に、この豪雨。
どこでも山崩れが発生しても、おかしくない状態です。

立野病院の裏山や、夜峰山も土砂崩れが起きている。
夜峰山の土砂崩れで、国道325号線は現在通行止めになっている。
旧道は通行可能なので、迂回路として使っている。

そしてダイアリーの土地の一部も崩れてしまった。
明日に続く。


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更新 平成28年6月26日7時


★ダイアリーの土地も崩れた


地震直後のメルヘン村の進入道路。
道路の半分(左側)はその時崩落した。


とうとう右側から崩れて、残っていた道路を塞いだ。
これで表側から歩いて、メルヘン村に登れなくなった。


ここの法面が崩れた。
メルヘン村の丘は、もう為す術がない、なるがままだ。


★泰山木の白い花


そのダイアリーの庭に、今年も泰山木が、大きな白い花を咲かせていた。
「シュウ」の兄貴分の「ニッキー」が亡くなった時、記念樹として植えた木だが、
もし今後他の場所に移るようになったら、この木をどうするか。
持って行きたいが、大きくなり過ぎたので、悩んでしまう。


★千の風になって


泰山木の花を見て思い出した。
「ニッキー」はピレネー犬で、白い大きな犬だった。
超大型犬としては12歳の長寿だったが、最期は癌だった。

今は千の風になって、阿蘇の大空から傷ついた熊本を憂えているのかな。
「お〜いニッキー、皆んな頑張っているぞ〜、だからお前も空から応援してくれ〜、頼むぞ〜」
思わず梅雨空に向かって叫んだ。

写真の女性は、当時のダイアリーママです。


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更新 平成28年6月27日7時


★恵まれた避難所に感謝

今、避難所として阿蘇ファームランドにいます。
他に避難所として、アーデンホテル・国民休暇村・グリーンピア南阿蘇があります。
南阿蘇村は観光地なので、この様な宿泊施設が多くあり、
臨時に避難所となっています。
だから、益城や熊本市などの避難所に比べれば、環境がよく、大変恵まれています。


各家庭に1ドームが与えられ、三食付きで、温泉もあり、なかなか快適です。
ただ移動が大変です。
「駐車場」←→「ドーム」←→「食事処」間は距離があり、
園内の循環マイクロバスもあるが、基本徒歩での移動。
特に強風で雨の日は最悪。車椅子を使うお年寄りは大変です。

ご飯はバイキングですが、美味しいです。

朝食の一例。


昼食の一例。


夕食の一例。デザートの一口ケーキも付いています。

レタスとポテトサラダが美味しいので、いつもいっぱい食べています。

ね、美味しそうでしょ。
撮り方がうまかった?
食事の写真は、全てiPhoneで撮りました。


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更新 平成28年6月28日8時

★被災地へ慰問が続々と


避難場所で慰問の演奏会が開催された。
陸上自衛隊第8音楽隊と、第3海兵機動展開部隊音楽隊の、合同コンサートだった。
この後、阿波おどりの演舞もあり、夕食後多くの被災者が集まっていた。
気分転換になり、楽しかった。

他の避難場所でも「さだまさし」や「八代亜紀」などのコンサートもあったが、
都合が悪く行っていない。

来月「由紀さおり・安田祥子」姉妹のコンサートも開催される。
こちらは予約が必要で、ダイアリーママが申し込みをしていた。


★鳴り続ける緊急速報


今日も朝早くから、スマホの緊急速報が鳴り続けた。
「土砂災害警報」「避難指示」「大雨警報」など、たて続けに出た。
新たな土砂被害が発生しないように、願うばかりだ。

大雨が続いているが、雨はもう沢山。
TVで関東地方は、水不足と放送しているが、
必要な所には降らず、いらない所には降り続ける。
自然とは・・・。

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更新 平成28年6月29日7時


★何でもない景色も阿蘇の魅力

九州地方は激しい雨が続いて、熊本県下21市町村には、土砂災害厳重警報が出ている。
そんな毎日だが、時々は雨も上がって、琴線に触れる表情を見せてくれます。


東の空は厚い梅雨の雲がかかっていたが、その雲の切れ間から太陽が顔を出した。
久しぶりの太陽だ。
田植えが終わった田んぼには、反射した朝日が輝いていた。


雨上がりの外輪山の山肌から、靄が発生した。
バックの茶色の山肌や白い岩は、今回の地震で崩落した跡。
至る所に土砂崩れの跡があり、悲しいかなどうしても写り込んでしまう。


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更新 平成28年6月30日7時


★五月雨を集めて早し・・・そんな風流では

連日の豪雨で、黒川は轟音を響かせ、濁流と化していた。

写真は国道57号線赤瀬橋より、下流に向かって撮影。
東海大学農学部や、運休が続く豊肥線の鉄橋も見える。
このまま進むと数鹿流ヶ滝(すがるがたき)を経て、白川に合流して、
熊本市内から有明海へと流れ下る。


その数鹿流ヶ滝は、今は通行禁止になっているので、近づくことは出来ないが、
多分こんな感じなのだろう。
撮影は、一昨年梅雨の豪雨の時撮影。


★あっ!青空だ!


避難所で何気なく空を見上げたら、雲の切れ間から青空が見えた。
思わず「あっ青空だ」と叫んだが、すぐに雲に覆われてしまった・・・。
ほんのチョットの青空だった。
もうチョット見たかった。

最近、避難所での挨拶は、
「いったいいつまで降るのかねぇ」
「もう雨は嫌ですねぇ」
「早くやまないかねぇ」
「家が心配です」
と、雨が中心になっています。

その後再び避難所に、激しい雨が襲った。


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